大村高校の山岳部と写真部

大村高校の山岳部と写真部はどうやってはじまったのか?

まず大村高校伝統の山岳部。

長崎ウエスレヤン大学の鎮西学院資料室に書かれていました。

(山岳)競技化の始まりは,国体予選だった。1962年,大村高校・西海学園高校・鎮西学院高校の3校で行われた。会場は多良山系,国体出場権を得たのは吉田五雄先生が指導されている鎮西学院高校である。

山岳が競技となったのは、長崎県では昭和37(1962)年から。
当初は、大村高校(大村市)、西海学園高校(佐世保市)、鎮西学院高校(諫早市)の3校しかなかったのですね。

岩手県盛岡市 姫神山 登山口

岩手県盛岡市
姫神山 登山口
 登山道が8合目くらいから荒れていて登りにくかったです。

次ぎに写真部。

大村高校写真部が、部に昇格したのは昭和51(1976)年秋です。それまでは同好会でした。

同好会と部の大きなちがいは、文化祭などの時に予算が出るかどうかです。写真部ができた当時のことは、大村高校1000日1000枚というホームページに写真として残っています。大村高校1000日1000枚はこちらです

大村高校1000日1000枚
約50年前、大村高校合格発表時から三年後の卒業まで、私費により、3年間で3900枚が撮影されました(当時は、フィルムカメラ時代で、フィルム代...

大村高校写真部OBリンク

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