創立のエピソード

本年は、平成27年・皇紀2675年・西暦2015年です。
そして、大村高校創設345周年です。

Ⅰ.九州初の学校
大村高校は、寛文(かんぶん)10(西暦1670)年大村藩 四代藩主 大村純長(おおむら すみなが) 公により創設されました。沿革はこちらです。

*西暦とはキリスト教の年号です。イスラム教ではイスラム暦による年号を使います。西暦2015年は、イスラム暦では1436年です。日本では皇紀(こうき)2645年で平成27年です。

大村高校の前身・集義館を創設した藩主・大村純長公のお墓 ;大村市古町・本経寺

大村高校の前身・集義館を創設した藩主・大村純長公のお墓
;大村市古町・本経寺

大村純長公と同時期の人物に、私財により野岳湖を建設した深沢義太夫(ふかわざぎだゆう)がいます。

深沢義太夫が私財により建設した野岳湖

深沢義太夫が私財により建設した野岳湖

大村純長公の時代に、郡崩れ(こおりくずれ)という隠れキリシタンの事件が発生しました。大村純長公は、誠実な人柄で、幕府に事件の詳細と顛末(てんまつ)を包み隠さず正直に話したために、幕府の怒りにも抵触(ていしょく)せず、大村藩には何の咎(とが)めもありませんでした。

たとえば、少し、時代と内容が違いますが、幕府の怒りに触れた兵庫県の赤穂(あこう)藩は、藩が取りつぶしになりました。赤穂浪士(あこうろうし)の話は残っていますが、藩は消滅しています。

Ⅱ.旧制中学の開校
明治期になり、大村高校の前身・私立大村中学が開校しました。

開校時、長崎県と長崎市がいやがらせして、開校が遅れました。長崎県の嫌がらせがひどいので、大村では、長崎県に頼らず、当時、明治政府のメンバーだった大村藩出身の楠本正隆(くすもと まさたか、後に新潟県知事から衆議院議長)をはじめ、明治時代から平成の現在も続く大村人脈で、政府に話を通してもらい、県立ではなく、私立として開校しました。

*新潟県に貢献し、新潟市白山公園に銅像がたてられた大村藩出身の楠本正隆(くすもと まさたか)

新潟市白山公園 楠本正隆銅像

新潟市白山公園 楠本正隆銅像

新潟市白山公園
新潟市白山公園の楠本正隆銅像

新潟市白山公園の楠本正隆銅像

新潟市の白山公園と白山神社紹介ホームページ

FMおおむらによる楠本正隆

●長崎県が煙(けむ)たがる、大村高校開校のお話

全国的には認められているのですが、なぜ長崎県だけが、大村高校が大村藩時代から続くことを認めていないのでしょうか?

江戸時代が終わり、明治になり、全国の藩校は廃止されましたが、再び、大村藩主により私立として出発した大村高校。

実は、明治初期、長崎県が、さんざん大村にいやがらせして、大村の開校を認めなかったのです。現在も、長崎県が大村にいやがらせしてきた事実が知られると困るそうです。資料名を出すと、長崎県が焚書(ふんしょ=本と資料を焼き捨てる)するそうなので、資料名は書きません。

開校時、大村の先輩方は、長崎県のいやがらせに負けませんでした。あまりにいやがらせがひどいので、大村の先輩方は、長崎県をスルーし、明治から平成も続く*大村人脈で、政府に認可を求め、私立として開校したのです。

長崎県は、開校時、1円(当時の最小単位1厘[りん])のお金も、大村に出しませんでした。そこで、アメリカ・ハーバード大学留学を終えた大村藩主が財産を提供し、大村領内からの寄付も集まり、藩主がオーナーとなり、五教館出身の大村の有識者が校長として経営を開始しました。

アメリカ・マサチューセッツ州のハーバード大学

アメリカ・マサチューセッツ州のハーバード大学

ハーバード大学

ハーバード大学とは? *大村高校創立者の大村純雄(おおむら すみお)伯爵が留学した大学。米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市にあり、ノーベル賞 受賞者数で世界一。

ハーバード大学出身 大村高校の前身・大村中学を開校した大村純雄(おおむら すみお)伯爵

ハーバード大学出身
大村高校の前身・大村中学を開校した大村純雄(おおむら すみお)伯爵

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長崎県がいやがらせを続け、開校を認めなかったけれど、大村の殿様と大村領内のみんなで開校した大村高校の前身・私立大村中学。

したがって、藩校時代から継続し、正統性があるのです。さんざん大村にいやがらせをした長崎県が、かたくなに認めないのは、19世紀の明治時代からなのです。

長崎市は、大村純忠によって開かれ、豊臣秀吉の手に渡り、徳川幕府の植民地となっていた町だから、長崎県庁のある長崎市民には独立自尊の「藩」という存在が理解できないように見受けられます。

そして、何でもかんでも、「長崎市が一番」にしたい考えの長崎県と長崎市にだまされないようにしよう。

日本歴史大事典(小学館発行 / カシオ電子辞書版)より 1670年 四代藩主 大村純長が開校した大村高校の前身・集義館(しゅうぎかん)

日本歴史大事典(小学館発行 / カシオ電子辞書版)より
1670年 四代藩主 大村純長が開校した大村高校の前身・集義館(しゅうぎかん)

実は、九州で一番に、集義館(大村高校の前身)ができた事実を認めると、長崎学や長崎の文化に歴史がないとわかるから、長崎県と長崎市は、歴史的事実をできるだけ無視して伝えない方針のように見えるのです。

他に具体例として、長崎のカステラ(寛永元年/1624年)より、大村の大村寿司(1474年/文明6年)のほうが150年も古く伝統があることは、長崎市民は絶対に認めないようです。大村寿司ができた時代に、大村領長崎に町がなく、林と海だけだったことも認めないでしょうね。

山川出版 教科書 詳説日本史

山川出版 教科書 詳説日本史

でも、もう不作為(ふさくい=わざと実行しない=わざと伝えない)による無視とウソは終わりにしてほしいよね。

長崎歴史文化博物館に行くと、長崎市と長崎県の不作為がわかるようです。

長崎市と長崎県の言うことを聞かなければ。国からもらった予算を大村市にまわさないという脅(おど)しなのかもしれませんね。

ただ、長崎市と長崎県が流布している歴史には、歴史的事実を伝えないという不作為があるので、検証したほうがよいかもしれません。

大村高校写真部OBリンク

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