京都・伏見稲荷(ふしみいなり)大社と、大村・玖島稲荷神社のつながり

↑京都・伏見稲荷大社

コロナの時、外国人を入国禁止にしたので、京都は静かで、穏やかでした。修学旅行の生徒も、安心して京都の町を旅行できました。

大村の玖島稲荷神社と京都の伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)とのつながり:

室町時代(1336年〜1573年、約240年間)。
文明12年/1480年(長崎に町ができるのが1570年ですから、長崎の諏訪神社など影も形もない長崎の町ができる90年前)、大村純伊(すみまさ)公が、日本全国の稲荷神社の総本社、京の伏見稲荷大社より、大村領の守護神として分霊を受けたことが大村の玖島稲荷神社の始まりです。

同じころ、大村寿司も、重要無形文化財の寿古踊りも大村純伊(すみまさ)公の時代に始まりました。

国土交通省による玖島稲荷神社の紹介

京都・伏見稲荷にて

実は、伏見稲荷大社から、東福寺までは歩いて行けます。

*距離感:京阪電車、伏見稲荷駅→東福寺駅はひと駅で、歩ける距離です。

大村市の松原地区、竹松地区は、鎌倉時代には、東福寺の荘園でした。このころ、長崎市の領域と佐世保市の領域は、ただのジャングルでした。

東福寺

伏見稲荷から東福寺まで歩いて行きました。現在は、外国人がウジャウジャで、うるさいのですが、コロナの時は、静かで、本物の京都でした。

東福寺について

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