大阪の「くらわんか」と大村藩(2)

*京阪(けいはん)電車の広報誌・京阪エキスプレスより:くらわんか花火大会
枚方は「まいかた」と発音しません。「ひらかた」と発音します。

「くらわんか」方式の「くらわんか」という言葉が現在まで残り、花火大会まで実施されています。

・くらわんか花火大会の臨時列車増発(京阪電車)

・京阪電車路線図

大村藩が藩の収益事業として、どのようにして波佐見焼きを販売していたか(小売)?それが「くらわんか」方式と呼ばれるセット販売方式。

「大人の和食器入門」(宝島社)というムック本に波佐見焼の「くらわんか」販売方式が書いてありました。

以下は宝島社の「大人の和食器入門」より

大村藩は食器の大量生産に成功していました。

当時、磁器の食器は価格が高く、手が届かない庶民向けに、大村藩(波佐見は大村藩でした)は食器を大量生産し、大阪の淀川で船で安く販売していました。

*宝島社の「大人の和食器入門」より

大村藩は江戸時代、食器を普及させ、庶民の生活向上に貢献したのですね。
1.大村藩は、食器の大量生産に成功し価格を安くできた、
2.人口が集積していた大阪で販売した、
3.大阪は水都(すいと)と呼ばれ、船が現在の自動車+鉄道のような交通手段だった。

諸条件が揃い、うまくいったのでしょう。

台風、そして大阪・イノゲートにできたジョジョのモニュメント+大阪の「くらわんか」と大村藩(1)

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