【動画あり】日清戦争、日露戦争、そして大村高校

*上記:当時の錦絵(にしきえ):原田重吉、平壌(現在、北朝鮮の首都)の玄武門。玄武は北の方角を意味します。

日清戦争は、朝鮮を舞台に、日本と清(しん)国(現在の中国)が戦い、日本が勝利しました。

*これは映画です

*↑上記映画の日清戦争における「平壌の戦」を解説したもの↓:近代史の知識がない方へ

*日清戦争はどのようにして始まったのか?

*日清戦争とはどんな戦争だったのか、知りたい人へ

↑一次資料をもとに解説

*↑動画28分30秒ころより:
支那[シナ]人(当時:清国人、現在:中国人)が国際的に信用されない理由は、「降伏します」と白旗を掲げながら、機関停止しないで逃走し、砲撃など攻撃をやめなかったこと。

相手に「降伏しました、負けました」と宣言しながら、油断した相手に襲いかかるのというのは、支那人と朝鮮人がしばしば使う手ですから、気をつけましょう。

古代、高句麗(こうくり、朝鮮の王朝)と隋(ずい、シナの王朝)との戦いで、高句麗が降伏を宣言しながら油断した隋(ずい)に襲いかかって、だました手口と同じです。

隋(ずい)は高句麗にだまされて敗北します。ウソに負けました。が、日本はウソまみれの清国に勝ちました。ウソに勝ちました。

*竹田恒泰(たけだつねやす)氏=明治天皇の玄孫(げんそん、やしゃご=4代後の孫)による日清戦争の解説

大村高校の前身・旧制大村中学の福田雅太郎(ふくだまさたろう)先輩は、日清戦争(1894年〜1895年)に第一師団副官として出征されました。

*司令官と副官3名

wikipediaより

大村藩士・福田市兵衛の二男として現在の長崎県大村市で生まれる。大村中学校、有斐学舎(ゆうひがくしゃ、陸軍士官学校受験のための予備校)を経て、1887年7月、陸軍士官学校(旧9期)を卒業し、歩兵少尉任官、歩兵第3連隊付となる。1893年11月、陸軍大学校(9期)を卒業。

日清戦争には第1師団副官として出征。参謀本部第2局員、ドイツ留学、参謀本部員(編制動員班長)、兼陸大教官、兼大山巌元帥副官、オーストリア公使館付を経て、日露戦争に第1軍参謀(作戦主任)として出征した。開戦前は、田中義一、秋山真之らとともに対露早期開戦派であった。

*日清戦争の原因の一つとなった長崎事件

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福田雅太郎先輩のエピソードとしては、旧制大村中学卒業式の前日、本町で警察官となぐりあいの喧嘩(けんか)をしてしまい、卒業式に出席できなかったということが伝わっています。

福田雅太郎先輩は、その後、帝国陸軍トップの陸軍大将に昇進。陸軍大将時代に、大村に帰省(きせい)され、鶴亀橋で撮影された写真が残っています。

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また、福田先輩は関東大震災時に、帝都東京の治安維持責任者でした。朝鮮人の放火や殺人などに立ち向かわれました。関東大震災という大きな地震の2日後、日本人が弱っていたところに、朝鮮人が爆弾テロをおこしました。

震災で弱っていて、みんなで助け合って協力して生きていた日本人に対して、朝鮮人が問題をおこしました。

ひときわ大きな犯罪は、関東大震災の2日後、朝鮮人の朴烈という輩(やから)が皇太子(後の昭和天皇)暗殺事件という爆弾テロをおこしたことです(失敗に終わった)。逮捕され、 大逆罪となりました。

*関東大震災の2日後、朝鮮人テロリスト・朴烈(ボクレツ)の顔写真と事件を掲載した当時の新聞
9004

苦しいときに、日本人はみんなで助け合います。大きな災害、特に地震などの後は、混乱しないで、冷静に、周りの人を思いやりながら、助けあうのが私たち日本人なのです。

が、数々の事実からわかるように、朝鮮人は日本で混乱や問題をおこし、まわりに迷惑をかけるのです。そして、ウソばかり主張します。朝鮮人は加害者なのに、被害者としての立場を主張し、謝罪と賠償を要求するのが特徴です。

朝鮮人によって帝都・東京の治安が乱れました。朝鮮人がテロをおこしたことで、朝鮮人自身が、「日本社会において朝鮮人は危険だ」「日本で悪いことをするのは朝鮮人なのだ」というアピールをした証拠になっています。

関東大震災前後、こんなことがあったのです。数々の事実からわかるように朝鮮人は危険なのです。


*奴ら=朝鮮人

福田雅太郎先輩は、その後、共産主義者(共産主義者は朝鮮人が多いのか?日本共産党も朝鮮人が結党した事実)から狙撃されるという事件が発生しました。

しかし、犯人が撃った弾丸が、幸運にも不発弾で、弾丸は命中しましたが、貫通しないで、福田先輩の衣服の表面が焼けただけ。暗殺はまぬがれました。福田先輩には何事もなく、犯人はすぐに逮捕されました。

ご存じのように、福田先輩は、金持ちの家の出身ではありません。裕福な家庭ではありませんでしたが、本人の努力と運をつかむ能力により、陸軍大将までのぼった人物です。

共産主義者たちは、今もそうですが、資本家と労働者、金持ちと貧乏人という対立の構図を妄想し、努力しないで、嫉妬(しっと)により、数々の問題をおこしているように見えます。

大村の先輩で、日本の支配階級に昇った方々、あるいは、それぞれの世界で頂点に昇った方々の大村の実家は、みんな金持ちではありませんでした。

例えば、北海道大学第二代学長になった南鷹次郎(みなみたかじろう)先輩は、学費がなくて苦労されているし、帝国海軍の技術将校となりロンドン軍縮会議(1930年)に出席された橋口先輩は母子家庭で苦労されたし、現在の三菱UFJ銀行の副頭取まで昇った荒木先輩も実家は普通の家でした。大村高校近くにある物理学の長岡半太郎博士の実家も普通の家でした。田崎真珠を創業した田崎先輩も、日経新聞の社長・会長になった杉田先輩の実家も同様に普通の家でした。

コネ社会の支那、階級社会の欧州とは違い、わが国は、努力と運をつかむ能力で階級を超えることができる「機会の平等」があるので、他国の考えをそのまま持ち込み、嫉妬(しっと)で対立を煽(あお)る共産主義の考えは合わないと思います。

大村の先輩二名が、首都東京の警備、治安維持の責任者でした

台湾軍(日清戦争〜第二次大戦まで、台湾は日本領)司令官だった福田先輩のこと。

台湾旅行に行ってきました 5

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その後、大村高校からは、防衛大学校に進学され、防衛大学校一期生として陸上自衛隊のトップ(陸上自衛隊幕僚長)となった志摩先輩を輩出しています。

志摩先輩の動画あり

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大村には、現在、陸上自衛隊駐屯地のみならず海上自衛隊基地もあります。

【動画】大村市と海上自衛隊大村基地の紹介:基地のある街〜大村(防衛省海上自衛隊公式)

帝国海軍で活躍された大村の先輩

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帝国海軍で二式大艇、紫電改を開発された大村高校の先輩

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