古代から支那(シナ)の属国であった朝鮮半島の国では、日本では考えられないことがおこなわれていました。明治時代、わたくしたち日本人が調査して事実が明らかになりました。参考になります。
日本は、隋(ずい)の時代に、隋から大和朝廷に「朝貢しませんか?」と要望がありましたが、日本は、隋の要望をきっぱりことわりました。沖縄もことわりました。今の日本があるのは、この時に、支那の要望をきっぱりと断ったからです。
韓国は、遣隋使・遣唐使が陸路だと思い込んでいて、日本に技術を伝えたと主張しますが、それはウソでしょう。海路ですから、朝鮮半島の影響は受けていません。また、当時、朝鮮半島は街道が整備されていませんでした。街道が整備されるのは、明治になり、朝鮮半島が日本領になった後です。朝日新聞や韓国人のウソにだまされないようにしましょう。
詳しく書けば、6世紀、支那の隋(ずい)の時代に、皇帝・煬帝(ようだい)が朱寛(しゅかん)という使者を出し「朝貢しませんか?」と日本にセールスにやってきました。当時、日本は、隋(支那)の誘いである朝貢を断りました。つまり、華夷秩序(かいちつじょ)に入りませんでした。推古天皇の時代です。この推古天皇の決定のおかげで、現在まで約1500年もの間、日本は支那とは対等の外交関係になりました。
*もっと驚くのは、この飛鳥時代から大村があることです。長崎も佐世保も、この時代には存在していません。
さて、朝鮮は、文字のように、朝貢が鮮(すくな)い国という意味で名付けられた説があります。作物もできない、技術もない朝鮮半島では、若い女性が長期間にわたり、支那に朝貢として献上されていました。日本やベトナムなどの国とは違うのが朝鮮半島です。
*朝鮮民族の特徴をとらえたツィート
*朝鮮の処女朝貢
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