名古屋弁で「ひさしぶり」を「やっとかめ」と言うそうです。語源は、八(やっ)十(とお)日(か)め、という意味らしい。標準語でも「やっと」(宿題が)おわったの「やっと」と同じような気がします。
さて、名古屋駅で(仕事の)予定が狂い、2時間くらい時間が空きました。どうやって時間をつぶそうかと思っていました。
その時、「名古屋駅のそばで面白いものをやっているらしいですよ」と聞いたので、名古屋駅から徒歩10分くらいの、愛知大学というところに行ってみました。
*手ぶれ補正機能がないカメラで撮影したので、冒頭5秒くらいブレあり。
やっていたのは、ストリート歌舞伎で、演目は「景清(かげきよ)」、1185年、源氏(白)と平家(赤)によりおこなわれた壇ノ浦(だんのうら)の合戦(山口県下関市、1185年)のヒーローに関してのものでした。
そこで、ストリート歌舞伎鑑賞の後、名古屋市の「やっとかめ」というパンフレットが配布されていたので、いただいてきました。
伝統文化に関して、「時をめぐり、文化を旅する、まちの祭典」、やっとかめ文化祭というものを名古屋市がやっているようです。
*公式紹介動画 住んでいる町の誇りとは?:自分の町にねむっている宝を掘り起こすことがコンセプト
愛知県ではなく名古屋市の誇りを取り戻す。大村も、長崎県ではなく、大村市の誇りを取り戻すことが重要。その意味で、長崎県がやっている伝統・文化・歴史を無視した「長崎っ子」という変な教育、問題があります。
*公式紹介動画
それから、名古屋の伝統文化が全国に伝わっていない理由は、メディア(新聞・TV・雑誌)が、東京と大阪のことばかりしか伝えない点が一つ。もう一つは、名古屋の人は名古屋圏からあまり外に出ないという傾向があるためだと思われます。
また、長崎では、長崎市自体に江戸時代より前の歴史がないため、江戸時代以前の伝統文化を大切にしない傾向が強いですし、長崎県自体が、長崎市以外の歴史を無視する傾向が強いことが多いようです(長崎市の歴史文化博物館のパンフレットを見て、あきれた人も多いと思います)。
日本の神話には、大村市、東彼杵(ひがしそのぎ)、諫早、平戸、松浦、壱岐、対馬、五島、そして島原はつながっていますが、長崎市と佐世保市は日本の神話につながっていませんから、長崎市に県庁がある長崎県では、江戸時代以前のことはほとんど関心がなく、なんでも長崎が一番だというウソの歴史をすりこむような教育が、一貫しておこなわれているようです(長崎っ子とかいう変な教育)。
ところで、愛知県は、実は京都より神社仏閣が多い事実(神社だけなら、新潟県が全国一)。また神話に登場する神社が存続していて、現在も繁盛していることなどあり、伝統文化を大切にしていて、継承もおこなわれているようです。
古代、大村に行幸され「玖島」という地名を名付けられた景行(けいこう)天皇、その息子である日本武尊(やまとたけるのみこと)。そして日本武尊がお使いになった草薙の剣(くさなぎのつるぎ)。
古事記に登場する、その草薙の剣(くさなぎのつるぎ)が保管してある熱田神宮。
大村と熱田神宮のつながりは、江戸時代約260年間、2年に1回参勤交代で、江戸(現在の東京)と大村を往復したときに、大村藩は熱田神宮に参拝していたようです。江戸時代の熱田神宮の宿場(宿場名;宮)は、東海道でもっとも繁栄していた宿場でした。
「やっとかめ」の話に戻りますが、名古屋市の伝統文化の継承、大学の先生や伝統芸能の方々のみならず、一般の町の歴史家とめぐるミニツアーなども企画されていて、多方面からとなっています。
1.伝統芸能の方々
2.大学教授
3.専門家
4.町の歴史家
名古屋市(人口230万)のような大規模なものではなくても、大村の武家の伝統文化を伝えるために参考になりそうなので、興味があるかたはご覧下さい。この取り組みは5年目だそうです。
*やっとかめHPより
名古屋は「神話」、「戦国時代の武将(信長、秀吉、家康)」、「江戸時代」、そして、「明治・大正・昭和」の4本立て。
大村も神話は肥前風土記に登場し、角寿司誕生物語、佐賀県鹿島市の大村方の話、後藤貴明の反乱、日本初のキリスト教大名(大村純忠)、天正の少年使節における海外とのつながり、大村による長崎開港物語、江戸時代の郡崩(こおりくず)れ事件、深沢義太夫の功績、藩校・五教館の開校、五教館に講義にやってきた有名人(現在の大分県・広瀬知事の先祖)、そして幕末のことなど、話題を探せばあります。
しかし、内向きで長崎市のことしか頭にない、長崎県教育委員会がおこなう間違った教育でコントロールされ、伝統文化の継承がおかしな状況にされているように見えます。