【在校生向け】大村高校応援歌と東京大学、そして京都大学

*資料:神奈川県立公文書館より

ここで、まず旧制一高(東大教養部)の「ああ玉杯(ぎょくはい)に花受けて」の動画を視聴いただきながら、音楽にあわせて大村高校応援歌「三艇の賦(さんていのふ)」の歌をうたってみてください。節回しが、ほぼ一致します。

大村高校の先輩方から伝えられるように、「三艇の賦(さんていのふ)」は、旧制一高に合格した大村の先輩方が夏休みに帰省し、東京の「ああ玉杯(ぎょくはい)に花受けて」の節回しを大村に口伝(くでん)したということが、おそらく立証されると思います。

*旧制一高(東大教養部)の「ああ玉杯(ぎょくはい)に花受けて」の動画

*旧制大村中学(大村高校)「三艇の賦(さんていのふ)」歌詞です。
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わたくしは能力がないので、不可能なのですが、音感に優れている方は、採譜(さいふ)してみて下さい。しかし、口伝だけをもとにして、替え歌として、先輩方は歌詞をよく考えたものだと思います。

なお、まだ詳しくは比較していませんが、大村高校「壮行歌」は、旧制三高(京都大学教養部)の「紅萌(くれないも)ゆる岡の花」でしょう。

旧制三高(京都大学教養部)の「紅萌(くれないも)ゆる岡の花」は十一番まであります。動画は4番まで。大村高校壮行歌は三番までです。

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他の応援歌も、どこから伝わったものなのか、なんらかの証拠らしきものが見つかったら、わかりしだいにアップさせていただきます。

さて、大村高校のみならず、伝統校として旧制中学から続く学校応援歌は、ほとんどが、旧制高校から伝わったものだといわれています。伝聞は実証され、昔、旧制大村中学から、東京、そして京都の旧制高校に進学された先輩の皆様方が、他の伝統校と同様、旧制高校の文化を、旧制中学の後輩に伝えたという証拠になっていると思います。

補足:この当時は、音楽著作権のルールは日本にはありませんでした。また、現在のルールで日本の音楽著作権は50年(たとえばメキシコは100年など、国によって違います)です。

したがって、50年以上の年月がたっているので、大村高校や他の伝統校で、旧制一高(現、東大)歌や、旧制三高(現、京大)歌を利用しても問題はないと思います。音楽著作権のある旧制一高、旧制三高が消滅していますし、作詞・作曲されて50年以上たっていますし、関係したすべての方が、すでに他界されていますので。

また、むしろ、旧制高校文化をそのまま残しているという歴史の連続・継続性のほうが、賞賛に値するのではないかと思います。

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最後に、大村高校の前身・旧制大村中学の応援歌と、旧制一高(東大教養部)、そして旧制三高(京大教養部)に関しては以前アップいたしました。引用しておきます。

エピソードとしては、大村高校応援歌「三艇の賦(さんていのふ)」は、旧制一高に合格した先輩が、旧制一高応援歌を夏休みに持ち帰り、後輩である旧制大村中学の生徒に伝授したと伝えられ、旧制一高応援歌「ああ玉杯(ぎょくはい)に花うけて 」の替え歌(少し節回[ふしまわ]しが違うものの)になっているということからもうかがえます。

これにより、一高に進学された先輩の方々は、楽譜なしで、口述により、大村の後輩に伝えたものだと考えられます。

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