この写真がすべてを表しています。宗主国・外相から指さされる属国・外相。
日本は推古(すいこ)天皇の時代に、支那(しな)の隋(ずい)王朝に対等の文書を送り、ずっと対等な外交関係です。
*画像出典
当時、隋は、高句麗(こうくり)と戦争して敗北したので、日本と関係をよくしておく必要がありましたから。小野妹子(おののいもこ:男性です)が隋に持参した「日出づる処の天子、書を日没する 処の天子に致す、恙(つつが)なきや」の文書からですよね。
朝鮮半島の国は、ずっと支那を宗主国とあおぐ属国です。メンタルも様式も儀礼も、支那(シナ:現在は中国)に対しては、日本と朝鮮半島の国はまったく違います。
19世紀、シナが清王朝だった時、日本と英国は、清(シン)王朝の皇帝に対して三跪九叩頭(さんききゅうこうとう:地面に頭を9回こする)の礼はしませんでした。
その英国が三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)のための枕を足で蹴(け)る場面が、「北京の55日」という映画で表現されています。19世紀、日本は北京の55日で、日英米独仏イタリアの多国籍軍の一員として戦いました。
この映画は中国では上映禁止になっています。
1分27秒より:英国が三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)のための枕を足で蹴(け)る場面