画像は東京都公立学校教員採用案内(PDF)より
学校の先生は他人の立場を理解しにくい職業です。
学校の先生の相手は、目下の人ばかり。目下から「先生」「先生」と呼ばれ、対等な人付き合いができなくなります。また、チームで協力する仕事でもありません。だから、教師の方は、お互いに同僚を先生と呼び合って、距離を保ち、本音で話したがらないようです。
そして、仕事は学校の中だけです。大学を出てすぐに教員採用され、教壇に立った教師の方は、学校以外の世界を知らないのです。したがって、違う立場のものの見方ができなくなります。
そもそも論として、個人の意見に公平性などありません。何をもって公平とするかもわからず、規定のしようもありません。人はポジションで語るものであり、論評や評価は異なるのが当然の話 放送法における公平性規定とは異なる複数の意見がある場合、共に取り上げるというもの @dappo2015
— 渡邉哲也 (@daitojimari) 2015, 10月 2
それがどういう結果を生むのか?それは、学校外の違う立場の人の意見を聞かず、コミュニケーションをとらず、抹殺しようとする性格を生み出すように見えます。世の中は学校のような世界とは違います。立場(ポジション)が違えば意見が異なります。学校の先生は立場が違う意見を理解するより、ただ「迷惑だ」と攻撃しはじめるように見えます。
違う世界で生きる教師の方とは、もともと立場が違うから、意見が合うわけがないのですから。今までは、世間の人が「教員だし、学校の中だけで生きる人たちだし、しょうがないなぁ」と意見を合わせていたように思います。しかし、ネットの時代になり、ダイレクトに世間の意見が伝わるようになりました。教員の方も、別の立場の意見があると理解を深め、視野を広げることが必要だと思うのですが、いかがなものでしょう。
すべての人は自分のポジションで話をするわけであり、評価に公平性などあるわけもないのです。事実は歪ませてはいけませんが、その評価は人それぞれでしょう。そして、評論に関しては、結果の整合性が評価されるだけの話でしかありません。 @dappo2015
— 渡邉哲也 (@daitojimari) 2015, 10月 2