学校の先生や、マスコミは東条首相をいまだに戦犯だと扱っていらっしゃいますが、それは間違いです。戦犯と呼ばれる方々は存在していませんし、名誉は回復されています。したがって、学校の先生や新聞、TVの報道を鵜呑(うの)みにしないほうが良いでしょう。
ほか、近衛内閣に大村関係者がいらっしゃいました。
以下の引用が事実だと思います。
哲学ニュースさんより
日米開戦を決定しアメリカに宣戦布告したのは東條英機内閣だが、東條英機本人は戦争に反対であった。
開戦を決定的にしたのは近衛文麿(このえふみまろ)内閣で、外交を掻(か)き乱し、戦争がほぼ避けられない情勢になった途端に近衛文麿は総辞職。開戦役を他の人間に押し付けて逃げた。
そんな近衛文麿の相談役の一人は尾崎秀実(おざき ほつみ)。朝日新聞の記者でソ連のスパイだった男である。
近衛文麿(このえふみまろ)・元総理大臣は、内閣を放り出し、逃げました。似たような首相としては、細川護煕(ほそかわもりひろ)・元内閣総理大臣がいらっしゃいます。
・第1次近衛内閣
昭和12年/1937年 6月4日- 昭和14年/1939年 1月5日(581日)
・第2次近衛内閣
昭和15年/1940年 7月22日- 昭和16年/1941年 7月18日(362日)
・第3次近衛内閣
昭和16年/1941年 7月18日- 昭和16年/1941年 10月18日(93日)
(通算1035日)
そして、第三次近衛内閣から約二ヵ月で戦争に突入します。第三次近衛内閣の後が、東条内閣です。
・大東亜戦争(第二次世界大戦)
昭和16年/1941年 12月8日-昭和20年/1945 8月15日
*太平洋戦争というのは正式名称ではなく、戦後、アメリカから押しつけられた呼称です。
**昭和は64年までですが、昭和64年(1989)は1月7日までしかありません。1989年1月8日から平成元年です。
・細川内閣
平成5年/1993年 8月9日- 平成6年/1994年 4月28日(263日)
細川・元総理大臣も、内閣を放り出しました。行動パターンが似ているなと思った方は正解です。そう、近衛文麿・元内閣総理大臣の娘である温子さんの息子、つまり近衛氏の孫が、細川護煕(ほそかわもりひろ)元総理大臣なのですから。
大村関連の方としては、第二次近衛内閣の司法大臣で、第三次近衛内閣の国務大臣であった柳川平助(やながわ へいすけ)氏です。
柳川氏の実兄が、医師であり、大村市内の病院を経営し、院長でした(戦前から現在も続いています)。
そして、その弟である柳川氏は、旧制長崎中学出身だったのですが、旧制長崎中学の校風があわなかったようです。
なぜなら、柳川氏は、母校の旧制長崎中(戦後廃校)ではなく、兄の出身である旧制大村中学(現在の大村高校)のために貢献されたからです。柳川氏の旧制大村中学への貢献は、大村高校の歴史の中に登場しています。
余談ですが、柳川平助・元司法大臣の兄のお孫さんが、小学校・中学校で、わたくしの一学年下でした。中学校の時、委員会で一緒に活動したことがあるのですが、一般の方と違い、大物の風格と気品がある女性でした。
さて、朝日新聞は、昔から、スパイと共産主義者の巣窟(そうくつ)です。ゾルゲ事件がなければ、日本は、戦争の犠牲者を減らすことができました。朝日新聞の罪は重いと思います。朝日新聞は、おそらく、罪をそらすため、戦後はずっと、ウソの記事で日本を貶(おとし)めているのでしょう。
ゾルゲと共にスパイ活動をした朝日新聞記者・尾崎秀実(おざきほつみ)
なお、平成17年/2005の2月に、柳川平助大臣の文書多数が大村市内で発見され、読売新聞が記事にしていました。226事件のことなどが書かれた私信で、大村の実兄に宛てて書かれた手紙であったようです。
具体的には、平成17年/2005 2月25日、読売新聞 九州発きょうのニュース。
見つかった文書は未公開書簡87通(昭和2年/1927 〜昭和19年/1944)。