ウソと偏見(へんけん)を教えるのが長崎大学なのでしょうか。
長崎大学が、大村の人のことをどう思っているのか、非常に良くわかる記述があるので引用しておきます。また、東京の明治大学と、比べてみて下さい。
1.長崎大学
長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村で
長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村で
「長崎ならともかく非常に保守的な田舎の大村で」:大村が「非常に保守的」かどうか、検証されていませんから、長崎大学が大村に対して持つ偏見ですよね。
長崎大学は、長与専齊が大村出身であることが悔(くや)しくてたまらないんでしょうか。
長崎大学も含め長崎市の人たちは、「ごくふつうに大村を認めたうえで、なんの劣等感も感じないで、相手を尊重する」ということができないみたいですよ。
長崎大学の偏見をたたきこわすために、大村のことを弁護しておきますね。
現実的に、交通の便がよく、防衛のための軍隊(自衛隊)がある場所が都市なのだという定義があります。空港も軍隊もない長崎市は、都市にはなれないんです。
福岡市:空港、高速道路、新幹線、南福岡に自衛隊駐屯地
北九州市:空港、高速道路、新幹線、小倉に自衛隊駐屯地
大村市:空港、高速道路、新幹線(まもなく)、大村市内に自衛隊駐屯地+自衛隊基地
長崎市:空港がありません、防衛のための自衛隊がありません。ゆえに都市としての機能が欠けています。
長崎大学も含め、長崎の人は、しばしば場所を自慢します。
また、長崎市は、児童・生徒が殺人事件をおこし続けている場所です。「長崎市はいいところだ」と、根拠のない自己満足を、長崎市民は押しつけてきますよね。長崎市から人材は出ていませんから、場所だけ自慢することになるようです。でも、長崎市という場所、本当はよくないんですよ。
東京から見れば、長崎市も大村市も、どちらも地方都市にすぎません。ただ、空港がなく、空港から遠い長崎市のほうが不便な町なのです。
次の戦争がおきた場合(中国や韓国が日本に戦争をしかけてきた場合)、長崎市民を守ってくれる軍隊がないので、長崎市は危険ですよね。
実際、長崎市視点でものごとを見ていると、視野が狭いままで、全国レベルで物事を考えられない小さな人間で人生が終わりそうですからご注意下さい。
2.明治大学
東京視点の明治大学のほうが、お墓まできちんと調べてあり、大村のことを尊重しています。
明治大学ホームページに登場する大村の先輩:一瀬勇三郎(いちのせゆうざぶろう)
大村市武部(たけべ)生まれ、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)から、大村藩の奨学金を受け、司法省(現在の法務省)法律学校卒。創立されたばかりの明治大学でフランス法の講義をしていました。お墓は長安寺(浄土真宗)。
明治になるまで、人材を育成する学校があったのは大村の五教館のみ。昌平黌(しょうへいこう、現在の東大のような存在)に学生を出したのも大村の五教館のみ。天領・長崎からは一人の入学者も出ていません。
もともと長崎なんてなかったのです。大村が長崎を開港し、大村が長崎の町を人工的に造作した歴史があります。
中世は、西九州(現在の、福岡・佐賀・長崎)の都市は、門司・博多・太宰府・大村。長崎なんてなかったのですから。和同開珎の時代から大村は存在しています。
3.補足
なお、上記の長崎大学のHPに付け加えますが、長与専齊の生まれ育った家は、国立病院そばに移築されています。家の敷地は、現在は、田崎真珠のあこや荘、その前は、旧制大村中学の校長先生の公邸でした。