田崎真珠の創業者は、大村の田崎俊作(たさきしゅんさく)先輩。
田崎先輩は、大村市松原出身。旧制大村中学の*特選校友(とくせんこうゆう)でした。
*特選校友とは?
五年制の旧制大村中学を、四年で卒業した成績優秀者のことを指します。田崎先輩以外に有名な特選校友としては、高校教師で詩人だった伊東静雄(いとうしずお)先輩、日本人として初めて世界銀行の副総裁となった服部正也先輩などです。
田崎先輩は、旧制大村中学を4修(旧制大村中学は五年制だったが、成績優秀者は四年で卒業できました。四年で卒業できた人が4修)で卒業し、海軍兵学校(現在の防衛大学校)に進学。しかし終戦で就職先の海軍が消滅しました。。
*この本の序文は、日本経済新聞社 社長だった大村高校8回卒の杉田亮毅(すぎたりょうき)先輩により書かれました。
田崎先輩は、やむなく長崎経済専門学校(現、長崎大学経済学部)に進学し、神戸で修行し、田崎真珠を創業し、ビッグビジネスに育て上げました。
田崎先輩の自伝により描かれています。この本は、現在のような、激動に生きる後輩(あなたや私)への道しるべにもなる書物。
また、田崎先輩も、ボート(漕艇)が好きであることも書かれています。長崎経済専門学校(現、長崎大学経済学部)時代、何と、長崎県代表選手として、国体に出場しています。長崎大会の後、福岡大会と東京大会に出場した(選手としてボートを漕いだ)経験があることが、書かれています。
東京大会は戸田(現在、首都圏各大学ボート部が集まっている場所、埼玉県と東京都の境)で実施されました。その時の経験談はこの本の89ページから92ページを参照してください。
それから、平成23年(2011)4月26日午前1時51分、田崎俊作先輩はお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。
大村高校の校是「両道不岐(りょうどうふき)」の礎石は、田崎先輩の寄付によるものです。旧体育館の建設費も田崎先輩の寄付によるところが大きく、さまざまな功績は「大村高校百年史」をご高覧ください。また、旧制大村中学生の戦時下体験記録「不帰春(ふきしゅん)」にも体験談を寄稿されています。
平成23年(2011)4月26日新聞記事
産経新聞より