進路指導で、先生に従って、考えなしに田舎の大学に入った人は、その4年後、つけを払わされることがある、かもしれないですよ。
大学を卒業するころは、先生方は他の学校に異動していて、もう、大村高校にはいなくなっています。田舎の先生で、社会がどうなっていて、東京ではどうなっているか知っている人は少ないでしょう。
高校を卒業して、東京の大学に入学した人と比べ、社会人になって、はじめて東京に出てきた人には、はっきり言ってしまえば、ハンディがあります。
社会人になって、はじめて田舎の大学から出てきた人にまず言えるのは、ビジネスに必要な東京弁がしゃべれない人が多いことです。
つまり、高校を卒業して、東京の大学に入学した人とは、感覚が違う人のように思われてしまい、なんとなく別のグループに入れられてしまい、さまざまなチャンスを失うことがあるのです。
逆のことを考えてみてください。大村育ちで大村弁ばかりのグループに、東京育ちの東京弁の人が一人いる場合を。東京弁の人をすぐに仲間に入れてあげて、東京弁の人を大村弁の人と同じように扱いますか?
「何かちがうよなぁ」と思いつつ、口には出さずに、それなりに扱うのではないでしょうか。
ほかにもいろいろありますが、社会人になって、はじめて田舎の大学から出てきた人が言う、東京の人の多さ、建物のこと、どこそこで誰それという芸能人を見たという驚きは、高校を卒業して、すぐに東京の大学に入学した人から見れば、経験ズミのことばかりなんです。だから、まだそんなことを言ってるんだと、幼稚に見えてしまうのです。
驚きを強調していると、たぶん、本当に、なかなか、東京人や東京の大学を卒業した人のグループには入れてもらえないので、いろいろ辛抱して、平然と、構えたほうがいいでしょうね。
それに、表向きはそうではないといいつつ、実際はそうなのが、転勤。地方の大学を出た人は、地方の支店へのようなこともあります。
長崎西高から、長崎大学経済学部と慶応大商学部に受かった親戚がいました。私は慶応進学をすすめましたが、親戚の親は、九州特有の国立大信仰が強く、親の言いなりで長崎大学に進学(金銭的には困っていない家なのに)。卒業後は、東京の企業に就職できましたが、本社勤務になれず、地方のどさ回り人生。現在も、長崎の方言が抜けないので、妙な感じです。
慶応なら、大学が東京ですから、ビジネスに必要な正確な東京弁を大学時代に習得でき、本社勤務の可能性が高く、いい家柄の方と結婚できる可能性もあったのに、そうはならず、その人は、あきらめた人生になっています。そんな例もあります。
田舎で4年過ごした人と、東京で4年過ごした場合の違いはそういうところだと思います。文科系は、東京かそれ以外か、という大学選択で、その後の人生が変わることがあります。