文系は、研究生活にいることは少数で、大卒後資格試験を目指す人以外は、ほとんどが「就職活動」して、就職することになります。
その場合、上記のような「大学に行けるような家庭で育ったこと」ことも含め文系の場合、「本人(あるいは本人の育った家庭)が、田舎の大学に満足しないで、東京の大学を志願した(志願させる意思と経済的余裕、または奨学金を取る)意思があったのか?」ということも含まれているように思います(企業人としての見方)。
文系は地方の大学(長崎大学とか九州大学とか広島大学などの文系)に入ると、東京の大学に比べ、大学時代には文化的に刺激のない生活が待っています。4年経つうちに、偏差値だけでなんとなく田舎の大学に進学した人と、本人の意思で東京の大学に進学した人たちとは大きく差がついてしまっているように思います。
大卒と高卒というスクリーニング(screening:ふるいわけ)以外に、文系は、東京の大学か、そうではないかというスクリーニングがかかることが多いので注意して進路を選択したほうがよいでしょう。
田舎(長崎県)の先生は、なぜ、文系は偏差値だけで田舎の大学ばかりすすめるかというと、東京を中心にした社会と世間を知らないからです。現実は、長崎大学を出て長崎県内で就職した先生が、東京の事情を知っているほうが珍しいのです。幸い、情報は平等に取得できるので、先生を信用しないほうがいいこともあるでしょう。
大学入学時と卒業時はルールが変わります。本人の性格も重要になってくるので、自分自身の性格を客観的に知っておいたほうがいいと思います。