【在校生向け】イギリス外交官の見た明治維新に、大村の先輩が登場

本の名前は「一外交官の見た明治維新」。著者は、幕末の英国外交官アーネスト・サトー。原題は A Diplomat in Japan。

アーネスト・サトーは日本語を習得していて、通訳が不要だったため、日本のことを事細かく情報収集し記述しています。学歴が、中学を卒業後、高校には進学しないで、飛び級し、大学に入学し2年で卒業ですから、優秀さがうかがえます。

この本には外国語の習得法も書いてあります。

当時、大村藩は長州と同盟していました。大村藩の船がフランスに拿捕され、英国外交官アーネスト・サトーを通じて、フランスに返還交渉で意見をうかがったり。大村藩が英国外交官アーネスト・サトーの警護をしていたり。興味深い話がでてきます。

舞台は、開港したばかりの横浜、江戸時代の貿易港だった長崎、首都の京都、そして幕府の江戸。長崎の地名は登場しますが、長崎市の人は一人も登場しません。登場するのは大村藩だったり、佐賀藩だったり、長州藩、土佐藩、薩摩藩の方々です。

*現在の長崎県で見る当時の大村領(諫早は佐賀領なので諫早の名前はありません。長崎は徳川領[天領])
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アーネスト・サトーが、大村の殿様に会ったときの印象も書かれています。興味がある方は、読まれることをおすすめします。

なお、幕府がフランス側でした。明治維新実現のために動いていたのが、薩摩・長州・大村・土佐・肥前(佐賀)で、英国側でした。トーマス・グラバーは英国の武器商人。グラバーの邸宅だったグラバー園は、観光地となって表に名前が売れていますが、グラバー自身は、表ではなく裏側の人間として、できるだけ自分の名前が表に出ないようにしていたようです。

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