【在校生向け】大村高校と帝国海軍・二式大艇、海上自衛隊・US-2

さて、もう一度書いておきますね。

大村高校マラソン大会は、今年度100周年を迎えます。そのマラソン大会第一回から第三回までの優勝者が、帝国海軍戦闘機・紫電改(しでんかい)、帝国海軍水陸両用機・二式大艇(にしきたいてい)の開発責任者だった、大村高校の前身・旧制大村中学の先輩である橋口義男(はしぐちよしお)先輩です。

大村高校マラソン大会がどういう経緯ではじまったのか?こちらに書きました。

【在校生向け】今年度、大村高校マラソン大会は百周年を迎えます

マラソン大会第一回~第三回まで優勝し、北九州マラソン大会でも優勝した橋口先輩のことを少し詳しく書きます。

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旧制中学は5年生でした。橋口先輩は、5年間無遅刻無欠席。しかも、自宅があった竹松から、駆け足で通学。放課後は靴を脱ぎ、ハダシで走って帰宅していたエピソードがあります。

*当時、靴が高価で、靴が早く消耗しないようにとの意味で、靴は大切に扱われました。また、当時は運動靴、スニーカーというものがこの世になく、走る場合は運動用の足袋[たび]を用いた時代でした。

旧制大村中学から、熊本の旧制五高、そして東大工学部船舶工学科に進学。卒業して帝国海軍の技術部に入り、ベルリン(ドイツの首都)留学中に、世界史・日本史の教科書に登場する1930年代のロンドン会議で、山本五十六(やまもといそろく)海軍大将の仕事を迅速・正確に処理して、海軍内で昇進し、川西飛行機(現在の新明和工業)へ。続きは橋口先輩のこと

当時のヨーロッパ

当時のヨーロッパ

橋口先輩のこと

【在校生向け】大村高校と戦闘機・紫電改(しでんかい)

【在校生向け】大村高校と戦闘機・紫電改(しでんかい)2

【在校生向け】大村高校と戦闘機・紫電改(しでんかい)3

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