【在校生向け】東京の大学 応援比較:箱根駅伝

慶応の校歌は「陸の王者」と謳(うた)われていますが、陸上の箱根駅伝にエントリーしているものの、毎年予選落ちして、長年出場できていませんので、校歌に名前負けしているようです。

*慶応義塾大学の塾歌(校歌)、学習院大学の院歌(校歌)、大村高校の校歌、そして大村市歌の作曲者は、
信時潔(のぶとききよし)氏です。

学習院

大村高校は、校歌を通じても、高校時代から一流のものに触れることができます。

大村高校の校歌を作曲した信時潔(のぶとき きよし)氏
大村高校・校歌作曲者の信時潔(のぶとき きよし)氏を詳しく研究した本が平成17年(2005年)5月に発売されました。写真はその本です。 ...

出場校の動画

日体大応援、ハダカの男たちがおこなうエッサッサ、名物となっています。
日本体育大

以下、あいうえお順です。

青山学院大

國學院大

國學院大學は、1980年代、大村高校の前身・旧制大村中学校出身の松尾三郎先輩が、國學院大學理事でした。大学に数々の貢献をされたために、松尾三郎氏の功績をたたえ、松尾三郎杯、松尾三郎記念賞ができました。

松尾三郎(まつおさぶろう)先輩は大村市片町出身。松尾三郎氏のお父様が、大村の剣道道場・微神堂(びしんどう)の再建に、多額の寄付をされました。

駒沢大

東海大

中央大

東洋大・駒沢大・日大・中央大

法政大

法政大学第三代学長の大島誠治(おおしませいじ)先輩は、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)出身です。
経歴は、大村生まれ、五教館卒業後、大村藩から奨学金を受け、東大の前身・大学南校に進学。

金沢大学の前身・旧制第四高等学校校長のあと、法政大学第三代学長。
法政大学HPより
おおしま先輩

明治大

一瀬勇三郎(いちのせゆうざぶろう)先輩が、明治大学の創立直後・明治14年9月から1年間にわたって、明治大学でフランス法の講義していました。
一瀬勇三郎
明治大学ホームページに出ている大村出身の一瀬勇三郎先輩

明治大学

【在校生向け】大村高校と明治大学、シンボルカラーが紫紺(しこん)
*写真 上 明治大学 気がついていなかったでしょ。大村高校と明治大学、学校のシンボルカラーが紫紺(しこん)なんですよ。 実は、大...
【在校生向け】大村高校と日本の法律、そして一瀬勇三郎(いちのせゆうざぶろう)先輩
日本の法律はどうやってできたのでしょうか? 法律はどうやってできたのでしょう?考えたことはないですか? 誰かが考え、その考えをも...

早稲田大

早稲田大学に残る大村の先輩が書いた文書

大村高校の前身・五教館出身で、大蔵官僚(現在の財務省官僚)だった岩崎小二郎(いわさきこじろう)先輩が、大蔵大臣(今の財務大臣)・大隈重信(おおくましげのぶ、早稲田大学創立者)にあてた手紙が早稲田大学に残っています。 

岩崎小二郎 早稲田アーカイブ

原本全文は早稲田大学アーカイブにあります。

岩崎小二郎(いわさきこじろう)先輩の経歴の一部
大村生まれ、大村高校の前身・五教館出身。明治4年1月(1871年)から黒田清隆開拓次官に随行しアメリカ合衆国、ヨーロッパを訪問。
同年7月から大蔵省留学生としてロンドンで学び、1874年7月に帰国。大蔵少書記官、大蔵権大書記官兼銀行局長、大蔵省書記局御用掛などを歴任し、参事院議官補に就任し、法制局参事官となる。

1889年12月、秋田県知事に発令されたが、胃病のため辞退し赴任せず、1890年3月、元老院議官に任じられた。同年5月、滋賀県知事に転任。以後、大分県知事、福岡県知事を歴任。

1980年代、早稲田大学文学部の学部長は、大村高校の前身・旧制大村中学出身の川副国基(かわぞえ くにもと)先輩でした。川副国基先輩の文書は、大村高校の年刊誌玖城(くじょう) 昭和49年(1974)の大村高校90周年号に残っています。

大村高校写真部OBリンク

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