第二次世界大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 12

昭和20年(1945)年、つまり8月15日が敗戦となる年の三月二十八日に、大村高校の前身・旧制大村中学校の卒業式が挙行されました。

 

普通の卒業式ではありません。

 

米軍のB29爆撃機が、大村上空にやってきたため、対空砲火の高射砲から発射される砲弾の音が響く中、卒業式が挙行されました。

 

対空砲火の高射砲・砲台は、現在の久原二丁目、国立長崎中央病院にありました。

 

さて、長崎県の教員や、長崎県教育委員会が教える内容には、検証していないまま、ウソのイメージを植え付ける教育があるように思います。

 

長崎県庁と長崎県教育委員会、そして長崎県の教員が教えるウソにだまされないためにも、検証していければと思います。

 

 

アメリカ側資料

日本本土空襲におけるB29の損害について

B29 喪失 485機
損傷 2,707機
搭乗員戦死 3,041名

長崎県の教育では、B29が1機も打ち落とせなかった、撃墜できなかったイメージで語られていますが、現実は、485機も撃墜しています。
 

長崎県内では9機を撃墜しています。

*昭和19年(1944)
8月20日 壱岐、郷ノ浦上空で、日本の戦闘機によりB29を1機撃墜
11月21日 諫早市小長井上空で、日本の戦闘機によりB29を1機撃墜

*昭和20年(1945)
5月15日は長崎県佐世保市宇久島で、日本の戦闘機がB29を1機撃
7月7日は五島で1機撃墜
7月31日に五島の福江島上空で対空砲火(高射砲)により1機撃墜

8月6日対馬の上対馬上空でも対空砲火(高射砲)で1機撃墜
8月8日に壱岐で、対空砲火(高射砲)で1機撃墜
8月10日に対馬で、対空砲火(高射砲)で1機撃
8月12日に対馬で1機撃墜(対空砲火か戦闘機によるものか不明)

ソース
本土空襲墜落機調査より
 

 

大村(久原二丁目)にあったものと同型の三式高射砲(こうしゃほう)

 

Wikipediaより


 


 

高射砲陣地は、現在の国立長崎中央病院付近にありました。B29の爆音、高射砲から発射される砲弾の音の中、卒業式だったのです。
 

長崎県では第二次大戦中の高射砲陣地はなくなっていますが、名古屋にはそのまま保存してあります。見学にいきました。なお、五島、壱岐、対馬と同様、名古屋でも、高射砲でB29を撃墜しています。
 
名古屋市 笠寺砲台跡
 


 

以下は、アメリカの戦死者数より引用

 

全く歯が立たなかったように言われている本土空襲も、上の資料にあるように、故障や事故を含めてではあるが500機近いB29を喪失させている。

 

終戦時までのB29の生産数は約2500機と言われているので、この喪失数はアメリカにとっても無視できる数字では無いように思うが・・・。(生産機数より喪失・損傷数が多いのは、損傷数が述べによる数のためと推察される)

 

 

実は、B29に対して最も損失を与えているのは、あの「とどかない」と言われている高射砲である。次は体当たりによる撃墜が多い。(実は届いていた)。

 

神風特攻隊による米軍損傷について
特攻隊も、アメリカのレーダー管制システムの前に無力であったとよく言われているが、この説もよく調べてみると怪しい(無力ではなかった)。

 

日本側の航空特攻による戦死者3848名
特攻 陸軍:1185機 海軍:1298機 (合計 2483機)
※特攻機の数は資料によって違いがあります

 

[日本軍の特攻による]アメリカ軍の被害 戦死者8064名 負傷者10708名

撃沈 約49隻
護衛空母3 駆逐艦13 護衛駆逐艦2 機雷戦艦艇3
輸送船9 上陸用舟艇12 その他7

撃破 約268隻
空母13 護衛空母20 戦艦11 巡洋艦11 駆逐艦84
護衛駆逐艦24 水上機母艦5 機雷戦艦艇36 輸送船29
上陸用舟艇19 その他16

となっており、

 

アメリカ軍の資料では、特攻機2550機中、475機(18.6%)が有効で、確実に命中または至近弾効果と判定している。そのため、特攻機に対する特務艦の製造が急務であると提案されている。

(4) アメリカ軍の潜水艦の被害について
アメリカの潜水艦の被害については、木俣滋郎氏による「潜水艦攻撃(光人社NF文庫)」という本にまとめられている。

 
「潜水艦攻撃(光人社NF文庫)」」

 

この本によると、第二次世界大戦中、アメリカ軍は大西洋、太平洋含め合計52隻の潜水艦を失っているが、そのうち日本軍との戦闘行為によって失ったのは46隻に及んでいる(大破2隻を含む)。

 

全損失数の88%が、対日戦で失われている。

 

アメリカ軍の潜水艦は大小はあるが、一隻に平均80名程度乗員していたようである。木俣氏の著書で合計してみると、3200名以上の搭乗員が対日戦で死亡している。

 

以上のことから考えると、決して、対日戦はアメリカにとって「楽な戦い」などと言えるものではない。

 

彼ら(アメリカ)がそれ(ラクな戦いではなかったこと)を認めようとしないのは、明らかに差別的な意識がその根底にあると私は見ている。「認めたくない」という感情があるのである。

 

太平洋戦線におけるアメリカ軍の被害は、戦争に対する客観的評価をいやがる戦後思想と、日本軍への評価を避けたいアメリカの思惑のため、情緒的・感情的な記事が多く、客観的な研究が表に出にくい傾向があるように感じました。
ソース:アメリカの戦死者数より抜粋
 

 

数字で客観的に見てみると、長崎県教育委員会や、長崎県の教員らが、感情+「日本が悪いという思想」を吹き込むだけで、客観的なものではなく一方的なものであり、長崎県がご自慢の平和教育が間違いであることがわかるのです。

 

 

1へ

第二次大戦中 旧制大村中学(大村高校の前身)生徒の在校生日記 1

【このページの情報を拡散する】