↑戦中、昭和19年(1944年、敗戦の1年前)に書かれたものです。
第二次大戦が終結したのは80年も前のことです。だから、戦中の大村の先輩方がどうされていたのか、どんなふうに、何を考え過ごされていたかは残っていないと思っていました。
しかし、残っていました。きちんと本になって、残されていました。証拠がない伝聞だけで、ウソを教える長崎県教育委員会や長崎県の教員たちに騙されないように、少しづつ、公開していければと思います。
今はどうかは知りませんが、以前は、長崎県の教員たちは、戦中「英語は敵の言葉だとして、軍によって禁止され教えられなかった、だから軍は悪いのだ」と、正規の授業中に教えました。でも、それはウソでした。
大村高校の前身・旧制大村中学では、戦中でも、普通に英語の授業が、普通に期末テストが実施されていました。この中に登場している「倉富くん」というのは、私の以前の大村の実家の近所の方でした。
他、田崎真珠の創業者・田崎先輩の伝記では、5年制の旧制大村中学を成績優等で4年で卒業し、進学した海軍兵学校(現在の防衛大学校)では「戦中でも英語が教えられていた、それは戦争に勝っても負けても英語が必要になることを軍は見据えていた」というふうに書かれていました。大村には海軍航空隊がありましたから、旧制大村中学の先生方にも、帝国海軍の考えが伝わっていたからなのではないでしょうか?
物象(ぶっしょう)という科目は、現在の物理+化学。
納富大尉というのは、ミッドウェーでアメリカ軍に撃沈された日本の空母「瑞鶴(ずいかく)」の飛行隊長。佐賀県出身、海軍兵学校62期卒。昔は海軍大尉を招いて話を伺っていたようです。ラバウル方面、ブーゲンビル島沖航空戦にて戦死されました。

納富大尉の詳しいことは以下に。
ラバウル海軍航空隊(映画の映像)
ラバウル海軍航空隊(実写の映像)
恩師・成城大学・元教授だった小野先生(英語)、戦中はラバウルで航空機の整備兵でした。
東京外語大・英米語科卒で、成城大学・元教授だった小野嘉寿男(おの かずお)先生。残念ながら、先生はお亡くなりになりました。
小野先生は、NHKのTV英語講座の講師として担当された経験のある人でした。英国留学の経験がある先生が身につけていらっしゃった、英国風のハンカチや傘(アンブレラ)はカッコよかったのです。
他、トヨタ自動車の創業者一族で、かつてのトヨタ自動車社長だった豊田正一郎氏は、名古屋大学卒業後、帝国陸軍に入隊し、大村の陸軍46連隊に配属となり、片町に居住され、旧制大村中学生が集まって話を聞いていたそうです。
続く

