中国と仲良くできないことは、明治時代に決まった

↑富士山、令和8年(2026)1月6日、新幹線より

支那(シナ)、つまり、当時は唐。そして、現在は中華人民共和国。

菅原道真(すがわらのみちざね)が、寛平6年(西暦894年)に、「もう唐から学ぶものは何もない」として、遣唐使を廃止し、支那(シナ、当時は唐)とは正式な国交がなくなりました。

中華と日本との、国と国としての正式なつきあいは終了しました。

日本と中華の支那(シナ、唐→五代十国→宋→元→明→清→中華民国)の間では、政府と政府による正式な国交はなくなり、民間だけのおつきあいになりした。

元(モンゴル帝国)からの正式な使者が来たこともありますが、「モンゴルに降伏しろ」という一方的な内容だったため、当時の日本政府(鎌倉幕府)は、使者を切り捨てています。

明治維新で、日本は、欧米に飲み込まれる道を選択しないで、欧米にならび、欧米のルールを取り入れ、侵略者とは戦い勝ち抜く選択をしました。

そしてルール、つまり法律は、奈良時代に中華のシナから伝わったルールをすべて捨てて、欧米と同じ土俵で戦っていくために、東ローマ帝国からつながるローマ法(六法の一つ民法ではローマ法のパンデクテン方式を取り入り、現在も使用中)を取り入れました。

中国とは、この時点で、もう根本から違う国になったのです。

菅原道真の時代(西暦894年)から1000年以上たった、昭和47年(1972年)、当時の田中角栄(たなかかくえい)首相が日中国交回復をします。

約1100年ぶりに、支那(現在は中華人民共和国)との国交が始まりました。

歴史を学ばなかった理系の経営者、そして立憲民主党、共産党、公明党などの親中派、そして属国だった朝鮮民族は、中国に飲み込まれる説を主張し、中国の言いなりになることを主張しますが、それは間違いです。

根本のルールが、日本は欧米と同じになっていて、もう、中国とは合わないのです。

暦(こよみ)のルールも、日本は旧暦の旧正月(中国語で春節、太陽暦で2月中旬を1月1日とする太陰暦)は捨てて、欧米と同じ新暦(グレゴリオ暦、太陽暦)を採用しました。

*旧正月を祝う国(赤):日本は中国と同じ正月ではありません。日本は旧正月をお祝いしません。

旧正月を続けているのは、中国・台湾・韓国・シンガポール・タイ・インドネシアなどで、日本は旧暦として明治時代に捨てています。欧米のグループに入るために、日本は中華の影響力を排除しました。

日清戦争で、日本は中国に勝ち、シナ・中華(当時、清国)の影響力を排除することに成功しました。


*日清戦争に負け、日本に命乞い(なんでも言うことを聞きますから、命だけはお助けください)をするシナ人=中国人(清国人)の姿。

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