5月1日から新時代・令和(れいわ)が始まります。
朝日新聞は昭和から平成になるときに、各マスコミを集めて、今後、元号は使わず、西暦だけにしようと画策する会議を開いたと言われています。
今回も、朝日新聞は、新元号の令和に文句ばかりです。共産党も同様です。日本はキリスト教の国ではないので、西暦だけではおかしいですよ。西暦2019年というのは、キリストが誕生してからの年号です。
宗教を全部否定する共産党がキリスト教の年号だけにしろというのも、本来の共産党の趣旨とは違うんじゃないでしょうか?だから共産党は嫌われるのでしょう。
新元号を当てたツィート
まず、3年前に令和を偶然当てたツィート。ツィッターをやっている人ならわかるように、ツィッターは削除はできますが、作成した日付は変更できませんし、一度ツィートしたら、中身は決して編集できないのです。
新元号の由来
楽しい万葉集より
この歌は大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で詠んだ梅の歌三十二首の最初の歌です。これらの歌に先立って、序文が漢文で記載されています。
詳細はこちらです。
右大臣・菅原道真(すがわらみちざね)が、支那(当時は唐)からもう学ぶものはないとして、寛平(かんぺい)6年(西暦894年)[白紙[894]にしよう遣唐使]9月、遣唐使を廃止し、支那の影響から脱却を図ります。
*菅原道真(すがわらみちざね)
*遣唐使(朝鮮半島は陸路経由がありませんから、朝鮮半島の影響はなかったと考えられます。日本が統治するまで朝鮮半島には、外交使節が通過できる道がなかったとされています)
画像出典
それから、昭和47年(西暦1972年)9月まで、1000年以上、支那とは国家間で正式な外交関係がありませんでした。
*日中国交正常化:田中角栄総理大臣と日本の旧制一高の受験に失敗して帰国した周恩来首相(しゅうおんらい)
いままで、元号は、大化から平成まで、すべて支那の書物を原点として採用されていました。
今回、初めて、日本、それも万葉集から採用されました。
支那の詩は、すべてが詩人であり、それぞれ当時のプロ詩人の作品ばかりの書物です。万葉集は違います。名もない詠(よ)み人知らずから貴族まで、しかも方言のものまで採用された最古の日本国民による作品集です。
菅原道真(すがわらみちざね)同様に、安倍内閣が、戦後レジームからの脱却、戦勝国ではないのに戦勝国として奇妙な振る舞いといやがらせばかりする中華人民共和国からの影響を脱する意味でも、支那の古典ではなく、万葉集から採用された意味は重要であると思います。
それに、万葉集から採用されたおかげで、「古代から日本は日本、支那とは違う国なんだよ」、ということが主張できます。
*中華人民共和国は第二次大戦後にできた国です。戦前も、戦中もありませんでした。だから、中華人民共和国が戦勝国だというのはウソですから、中華人民共和国、あるいは中国人、中国の影響下の左翼団体、朝日新聞などのマスコミ、教員、長崎県庁などにだまされないように。
やっぱり、新元号に関して、中国が反応しています。
*中国共産党の機関誌ウェブサイト版・環球時報(かんきゅうじほう)より
中国が無関心ではいられない件
*産経新聞より:環球時報(かんきゅうじほう)に関して
2019.4.1 17:53
【新元号】中韓反応 万葉集出典に 中国紙「中国の痕跡消せぬ」 韓国紙「安倍政権の保守色を反映」
新元号「令和」については中国国営新華社通信(英語版)が公表直後に速報するなど中国メディアは高い関心を示した。インターネットでも中国版ツイッター「微博(ウェイボ)」で「日本の新年号『令和』」がトレンドワードになった。新元号の出典が漢籍ではなく初めて日本古典となったことについて、中国紙の環球時報(電子版)は「中国の痕跡は消せない」の見出しで、引用元の「万葉集」も中国詩歌の影響を受けていると指摘。ネットユーザーの間では新元号のもともとの出典は後漢の文学者、張衡の韻文「帰田賦」だとの主張も目立った。
中国外務省の耿爽(こうそう)報道官は1日の記者会見で、新元号について「日本の内政であり論評しない」と述べるにとどめた。
新元号が日本の書物から採用されたことは、戦後レジームの脱却につながるという見方。
朝日新聞、共産党、左翼団体など、反日集団が、なんとしても元号を廃止するための活動をやめない、そのためには支那ではなく、日本の書物から採用するという考え。
2019年という西暦はキリスト教のもの。日本はキリスト教を国教とする国ではない。宗教を完全否定する共産党が西暦にせよという主張は間違っていますし、世界はキリスト教だけではないのに朝日新聞の西暦だけにしろという主張も間違っています。イスラム諸国はイスラム暦で、キリストは2019年だがイスラムは1440年です。
キリストが2019年で、イスラムが1440年で、日本は令和元年。
*祖国創世より
古代は、暦を支配する者が時間を支配した時代とされる。元号があることは、時間を支配した組織、統治者がいたことを意味する。制度としての元号が続く限り、天皇が統治者である証左となる。実際に、元号は制度的に継続された。
古事記、日本書紀を編纂したのは、当時の統治者が、独立国家であること、固有の文化・歴史を有する国家であること、を意識、決断した結果と解する。
一方、古事記、日本書紀が、現代における歴史学と同じ目線ではないからと言って、唯物史観の歴史学者のように?意味がないと決めつける必要はない。しかしながら、歴史は、ともすれば為政者によって改竄されるジンクスを有するものと受け止めている。
古事記が長らく埋もれていた時代があったこと(=公開されない時代があったこと)は、日本書紀の方が都合が良かった政治勢力が、古事記が書かれた時代に居た証左であろうと私はみる。(根拠はない)編纂者の都合もあったかもしれない。
元号は、「中国の古典に由来する言葉」から長らく選択してきたとされる。それは、我が国の知識階級が伝統的に四書五経を教育教材として選択してきたことと関係している。
最近はそうではないが、安岡正篤という言論人が居た時代までは、中国哲学を絶賛する風潮が続いた。
時代は変わり、最近は、孔子、孟子、荘子、老子の信奉者は減りつつある気がする。それでも、孫子は別格の存在。中共の軍事的脅威が増大しているためである。
中共が、我が国に対する領土的野心を捨てず、アメリカに代わり覇権国家を目指しているならなおさら、日本国の「元号」が「支那の古典」に準拠することは、日本が支那の精神的属国である証左となる。
そういう見方をするがゆえに、「元号」は、「日本の書物に由来する言葉」である必要がある。
安倍首相が、元号検討、選定に際し、「日本で書かれた書物がいい」と発言した?のであれば、元号制定した「古代の統治者世代」からみれば、歴史的に正しい選択をしたと解することができるのである。
つけ加えて言うのであれば、保守系言論界は、新元号制定を以って、「中国」と言わず、「支那」と意識して呼称変更すべきなのである。
元号法の瑕疵があったにせよ、法改正よりも先に、日本国の「元号」が「支那の古典」に準拠する「悪しき慣習」を止める決断の方が優先されるべきであり、「支那の古典」に準拠する「悪しき慣習」を止めない限り、「戦後レジーム」支配は続いていると解するのである。
「平成」を以って、戦後は終わららせなくてはならない。
「謝罪外交」が続いた「時代」、「戦後レジーム」が支配した「時代」は終わらなくてはならないのである!
*産経新聞より
【新元号】安倍晋三首相、初の国書由来で日本の誇り世界に示す
2019.4.1 18:26安倍晋三首相は1日、記者会見で新元号を「令和」と決めた理由を「一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる時代を築きたい」と説明した。日本最古の歌集である万葉集から引用し、新元号が国民に広く親しまれることを意識した。
「広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざすものとしたい」
首相は昨年1月、新元号について訪問先のブルガリアでこう述べている。「大化」(645年)から「平成」まで計247ある元号は、これまで全て中国の古典(漢籍)に由来してきた。一方、現代の日本社会は国際化が進んで日常生活で西暦が定着していることもあり、元号不要論もくすぶっている。
そうした中で、首相は決定の1年以上前から新元号を日本の古典から引用する意志をにじませていた。新時代への願いを示す元号に悠久の歴史や四季折々の自然など「日本の決して色あせることがない価値」を反映させたい思いがあった。