写真:wikipediaより
東京大空襲に関しての写真が残ったのは、上記の写真の石川光陽という方が写真を撮影していたからです。
戦争の後、石川光陽氏は、アメリカ軍から写真の引き渡しを要求されましたが、写真(原板、ネガ)を土の中に埋め、写真はないとして、引き渡しませんでした。そのため、アメリカ軍による無抵抗の民間人を大量虐殺した証拠となる東京大空襲が、写真に残りました。
写真を残した石川光陽氏に関して
アメリカによる民間人虐殺の犠牲者
1944年 東京大空襲: 約10万人
1945年 広島原爆: 約16万人
1945年 長崎原爆 :約7万人
*311(2011年3月11日)東北大震災の犠牲者は約2万人:大地震の犠牲者数より、アメリカによる無抵抗の民間人(老人、子供など)虐殺者の数が多いという事実。
石川光陽氏の写真集
東京大空襲の全記録
以下の動画でNHKは、「なぜ写真が残ったのかわかっていない」、と放送しましたが(14分20秒)、事実はそうではなく、写真家・石川光陽氏が、アメリカ軍に渡さないで、保管して残しておいたからです。アメリカによる日本の民間人大量虐殺の証拠ですから。NHKは、日本の重要人物(石川光陽氏)の名前が知られては困ると考えているのか、事実を隠して放送したように思います。
時系列別:空爆というのはアメリカによる日本国民(無抵抗の民間人)虐殺ではないでしょうか
都道府県別:アメリカによる日本の民間人虐殺 数値
長崎県はアメリカにより71,695(七万一千六百九十五)人が殺されました。
大村高校の前身・旧制大村中学校の生徒は5名が、突然のアメリカ軍の空爆で殺されました。写真は不帰春による