南鷹次郎先輩の像
*札幌駅そば ホクレンビルにある南鷹次郎先輩の像(作:彫刻家 佐藤忠良)
ホクレンビル
佐藤忠良氏について
南先輩の像を作成したのは彫刻家・佐藤忠良(さとうちゅうりょう)氏です。
では、佐藤忠良(さとうちゅうりょう)氏とはどんな人だったのですか?
ご出身である宮城県。その宮城県美術館に佐藤忠良記念館があります。
南先輩に関して
北海道大学第二代総長・南鷹次郎(みなみたかじろう)先輩に関して
詳細は、第二次大戦前、北海道大学の方が大村を訪問され、書かれた南鷹次郎先輩の伝記本である「南鷹次郎伝」という本があります。
*この本を書くために、戦前、はるばる北海道大学から大村に調査委員の方がいらっしゃいました(大村駅前の浜田屋旅館に滞在された)。
>はるばる北海道大学から大村に・・・現在、札幌の北海道大学から大村まで約4時間40分ですが、飛行機がなかった時代、北海道大学から大村まで3日かかりました。
その時に、大村小学校の校長先生から「南鷹次郎先輩の写真をいただきたい」との申し出が北海道大学にあり、南先輩から写真が送られました。その写真は、その後、旧制大村中学に保管され、大村高校百年史(昭和59年/1984年 発行)に掲載されています。
南先輩の伝記は完成しましたが、第二次世界大戦が始まり、執筆者の方が戦死されました。戦死された方のあとをうけつぎ、南先輩の教えを受けた方々が集まり資金を出し、戦後10年たってこの伝記が発行されました。
当時は外国産ホップばかりビールが製造されていましたが、南先輩が国産ホップ(ビールの原材料)の北大一号を開発。最初に国産の北大一号を採用したのはサッポロビールです。
最初に国産ホップでビールの醸造(じょうぞう)をはじめたサッポロビール工場は現在も「サッポロファクトリー」として残っています。行ってきました。
南先輩は、北海道大学の前身・札幌農学校ではじめての博士号取得者3名のうちの1名です。札幌農学校の卒業式および博士号授与式が実施された演舞場は札幌市時計台として現在も残っています。行ってきました。建物の中は見学可能です(入場料がかかります)。
札幌市時計台のHPに名前が書かれている南先輩
札幌市に貢献したもう一人の大村の先輩
それから、札幌市がほこる3つの大きな公園のうち、3つすべてが、大村高校の前身である五教館(ごこうかん)の先輩・長岡安平(ながおかやすへい)先輩が設計したものです。3つすべてに行ってきました。なお、大村公園も長岡安平先輩の設計によるものです。