先に結論を書きます。
SONYは、愛知県の作り酒屋「盛田」15代目の盛田昭夫(もりたあきお)氏が創業者です。ご実家の日本酒蔵元(くらもと)「盛田」は寛文五年(1665年)に創業。
大村高校は、四代藩主・大村純長(おおむらすみなが)公が寛文十年(1670年)に開校した集義館(しゅうぎかん)が発祥です。
両者、共に寛文(かんぶん)年間に始まっていて、現在も続いていることが共通点です。
さて、長崎県は、長崎市自体が、江戸時代以前の歴史がない土地柄。そのせいか、歴史を大切にしない傾向が強いです。
大きな違いは、大村市は、東彼杵(ひがしそのぎ)も含め、日本神話にも古代にもつながっているのですが、長崎市は、ぜんぜんつながっていないことです(江戸時代より前の歴史がないから)。
実際、ご存じのように、今から約350年前、寛文十年(1670年)、大村藩藩主・大村純長(おおむらすみなが)公によって、大村高校の前身である集義館(しゅうぎかん)が、九州で初めての学校として、日本で二番目の学校として、大村・玖島の地に開校しました。
大村高校の前身である集義館(しゅうぎかん)開校の五年前、つまり寛文五年(1665年)、尾張(現在の愛知県)知多において清酒業の蔵元「盛田」が創業したとありました。
その15代目の子孫が、SONY創業者・盛田昭夫(もりたあきお:大正10年/1921年 1月26日〜平成11年/1999年 10月3日)氏です。
大村では、江戸時代から明治になっても、五教館(ごこうかん)のあとは、大村純雄(おおむらすみお)伯爵が集義館〜五教館の伝統と学校経営をひきつぎ、長崎県が開校妨害やいやがらせをしましたが、それらをはねのけ、現在の大村高校につながっています。長崎県で唯一の、由緒正しい伝統を誇ります。
ところで、愛知県は、京都府より神社仏閣が多く、伝統を大切にしない長崎県とは違い、神話に書かれた歴史を大切にしている土地柄です。
たとえば、神話にある素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、頭が8つの大蛇(だいじゃ)・八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときの天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)がある熱田神宮(あつたじんぐう)など。熱田神宮の宮司の娘が、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の母親です。
剣(つるぎ)は一度、新羅(しらぎ、朝鮮半島)から盗賊がやってきて盗まれそうになりました。古代より朝鮮半島から、悪人がやってきていたことがわかります。
*寛文五年に創業した蔵元「盛田」の15代目が、SONY創業者の盛田昭夫氏
なお、蔵元「盛田」は、現在も、東京・丸の内、名古屋にお店があります。伝統を受け継いだお店であり、大村高校と同じく、江戸時代の寛文年間創業と耳にしたので、行ってきました。
店の名前は「ねのひ」です。
九州は甘い麦味噌、関東は塩辛い米味噌ですが、名古屋は赤だしの八丁(はっちょう)味噌です。
日本酒が好きな方、日本の伝統文化に触れながら食事をしたい方にはおすすめです。
デザートに酒粕のアイスなど、珍しいものがありました。
「ねのひ」東京は、繁盛して、いつも混雑して、なかなか席がとれないようです。が、名古屋は比較的すいていると聞きました。しかも、調べたら、名古屋駅前のミッドランドスクエア。行ってみました。大阪出張の帰りに、途中下車で寄ることが可能でした。時間の目安は、新幹線で、新大阪〜名古屋が50分、名古屋から東京が90分です。
名古屋の店舗情報より
大村高校卒業生は、江戸時代の寛文(かんぶん)年間という歴史と伝統を知る意味でも、もし余裕がありましたら、お店に行ってみることをおすすめいたします。