日清戦争が開戦した日です。
第二次大戦において、宣戦布告前に日本が真珠湾攻撃をしたことで、日本は卑怯(ひきょう)な国であると、長崎県の教員たちは授業で教えました。でも、長崎県の教員たちは、調べる能力がなかったのでしょう(今もそうなのかもしれませんが)。
なぜなら、ほとんどの場合、世界では、宣戦布告なしに戦争が始まっているからです。ウソを教えてきたのが長崎県なんですよね。知っていて修正しないままでやってきた長崎県の教育は間違っていると思います。
さて、日清戦争では、大村の先輩も活躍されました。大村市田ノ平で生まれ育ち、旧制大村中学から陸軍士官学校、陸軍大学にすすまれた福田雅太郎(ふくだまさたろう)先輩は、東京の第一師団副官として戦争に参加。
*福田雅太郎先輩(陸軍大将時代)
大村家の葬儀に参列された福田雅太郎先輩
鶴亀橋を、現在のやまとすし付近より、本町側から片町を撮影したもの。
日露戦争でも活躍され、その後、陸軍大将。退役後は、長崎県人会の会長にも就任されました。お墓は東京の青山霊園にあります。