名古屋市(人口230万)の隣にある、トヨタ自動車の愛知県豊田市(人口42万、長崎市とほぼ同じ)に行ってきました。
東京から新幹線で名古屋へ。名古屋から地下鉄→名鉄(めいてつ)豊田線が直通しています。
第二次大戦前、大村は軍都でした。軍関係の方が全国からやってきて、大村市に住んでいらっしゃいました。大村高校の前身・旧制大村中学時代です。トヨタ自動車の豊田章一郎(名古屋大学工学部卒)氏が、陸軍大尉として、大村に転勤、しばらく、大村市片町の住民だった事実があります。
当時、TVがない時代です。軍関係の方は、時局講演会をしばしば開催していました。旧制大村中学でも、軍の方を招いて講演会が開催されていました。
また、当時の軍は尊敬されていて、帝国大学(名古屋帝国大学工学部)卒で陸軍の豊田大尉は尊敬されていました。旧制大村中学の生徒が豊田大尉の話を聞いたこともあるようです。「豊田」を現在は「トヨタ」と発音しますが、当時は「トヨダ」と発音しました。
ところで、豊田市の町の感想を書いておきます。
自動車の開発、生産にストイックに最適化された町な感じでした。40万都市ですが、店が少なく、無駄なものがない、質素倹約な町の感じでした。世界的な企業の城下町というより、普通の静かな町でした。
普通から知恵を絞って優れたものを生み出すのが、ゆとり教育以前(昭和50年/1975年以前生まれ)の日本で、その感じが残っています。
江戸時代の徳川幕府を開いた徳川家康もトヨタと同じ三河地方出身。現在の日本の「もったいない」という発想の原点である質素倹約の発祥が三河なので、徳川とトヨタ、質素倹約な町から似た感じがしました。
三河の徳川家康ではなく、尾張(名古屋市)の豊臣秀吉が幕府を開いて全国を治めていたら、質素倹約な国ではなく、派手な性格の国になっていたと思われます。豊臣秀吉の近所で生まれ育ち、熊本城を築城した加藤清正(現在の名古屋市中村区出身)も派手好きでしたから。
加藤清正と大村のつながりは、大村の玖島城の石垣築城をアドバイスしたのが、当時熊本城主だった加藤清正。
*名古屋市中村区に祀ってある豊臣秀吉と加藤清正、そして秀吉清正記念館
*熊本の加藤清正の銅像
さて、豊田駅前、具体的には、駅前にデパートが一店あるだけ。規模が大村の西沢より少し大きなくらい。また駅の近くのカフェは、デパート内のスターバックスだけ。仕事で豊田市を訪れた人は、とりあえず到着して休憩するには、駅そばのこの店しか行く場所がないようでした。
松坂屋豊田店
質素倹約で質実剛健(しつじつごうけん)な気風の場所で生み出される自動車が、世界市場を席巻(せっけん)している事実。豊田市を訪問して、なんとなく感覚がわかりました。
ほか、アメリカの自動車会社ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)本社3社があるデトロイト市と豊田市はつながりがあり、豊田美術館ではデトロイト美術館展が開催されていました。