福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)の脱亜論(だつあろん)は、明治18年(1885)年、つまり、旧制大村中学創設1年後の時代に発表されました。
大村高校と福沢諭吉のつながりは、大村高校の前身・五教館の長与専斎(ながよ せんさい)先輩が、大阪の適塾(てきじゅく)時代に福沢諭吉と同門であったこと。
福沢諭吉の次の適塾(てきじゅく)塾頭が長与専斎(ながよ せんさい)先輩でした。
適塾はその後、大阪大学に発展します。その大阪大学の初代総長が、大村の長岡半太郎(ながおか はんたろう)先輩。
そして第二代総長が、旧制大村中学一期生の楠本長三郎(くすもとちょうざぶろう)先輩でした。
*福沢諭吉の脱亜論が発表された当時に、大村で撮影された写真です。