紫電改を開発したのは、竹松小から旧制大村中(現、大村高校)、旧制五高、東大工学部に進学した橋口義男(はしぐちよしお)先輩です。また、海上自衛隊の現在のUS2につながる、二式大艇(にしきたいてい)の開発責任者でした。
昭和18(1943)年に出版された、橋口先輩が書いた本を古本屋で入手したので、紹介しておきます。この本は、戦中の昭和18年に出版されました。戦争に勝つか、負けるか、わからない時に書かれた貴重なものです。
紀元2600年が昭和15年=1940年ですから、紀元2603年は昭和18年、1943年、戦中です。
紀元2600年に関して
昭和15年(1940)11月10日、宮城前広場において内閣主催の「紀元二千六百年式典」が開催されました。画像は、「紀元二千六百年式典当日における万歳奉唱の時刻に関する件」です。 pic.twitter.com/FozlKKSGB5
— 国立公文書館 (@JPNatArchives) 2015, 11月 10
橋口先輩は海軍でした。内容は、陸軍風の精神論ではなく、技術者の立場から、客観的に書かれています。
70年以上前の本で、劣化が激しいため、いずれ、非破壊スキャナでデジタル化し、御遺族から承諾が得られれば、御遺族、関係者の方々、および大村高校にデジタル化した電子本としてのファイルを寄贈できればと思います。
内容はしっかりしていて、頂点を極めた技術者が、技術者の立場から、工学部に進む学生のために客観的な視点でかかれた随筆です。
なお、この本は、国会図書館に蔵書があり、閲覧可能です。
国会図書館 「翼、橋口義男」で検索したもの
橋口先輩に関して 1
橋口先輩に関して 2
橋口先輩に関して 3
大村高校と国会図書館の関連性