大嘗祭(だいじょうさい)の舞楽「吉志舞(きしまい)」、ゴジラ、そして帝国海軍

なんだか似ていると思っていましたし、ゴジラが最初から年配の方に受けていた理由がわかった気がしました。日本の古典舞踊の要素が入っていたからなのですね。だから、わたくしたち先祖代々日本人の魂に響いていたのでしょう。

まず、「吉志舞(きしまい)」


作曲はゴジラの伊福部昭(いふくべ あきら)氏です。

陸上自衛隊 音楽隊による演奏

そして、ゴジラの怪獣大戦争マーチ

古典風軍楽「吉志舞」

「ゴジラ」で知られる伊福部昭の吹奏楽曲。帝国海軍の依頼によって作曲され、1943年(昭和18年)2月に完成、初演は同年4月8日・服部逸郎指揮・東京放送吹奏楽団によるNHKの放送とされる。以後、戦時中の節日などにしばしラジオ放送された。

中略

既に忘れ去れ、曲も舞も残っていない「吉志舞」の名と故事から、独自にイメージして作曲したものである。全体の構成はロンド風形式をとっており、このうち行進曲調の第2主題は、戦後、ゴジラ等の映画で自衛隊の出動する場面などに背景音楽としてよく使われた。

『ゴジラ』の「フリゲートマーチ」(海上保安庁の巡視船や防衛隊のフリゲート艦隊のテーマ)、『宇宙大戦争』の「宇宙大戦争マーチ」(映画のメインテーマ)などといった異なる編曲が使用されたが、なかでも『怪獣大戦争』での編曲(映画のメインテーマ)が「怪獣大戦争マーチ」として知られるようになった。

「怪獣大戦争マーチ」の再演奏版は、製作側の要望で伊福部の代表曲を使用した『ゴジラvsビオランテ』でも流された。

ソース

*演奏:東京音楽大学

*予告編:ゴジラ対キングギドラ

*予告編:ゴジラvsビオランテ

*古典舞楽「吉志舞(きしまい)」に関して:

吉志舞(きしまい)とは大嘗祭などで、安倍氏の当主等が監督して、闕腋袍(けってきのほう)等、主に武官の服装で、踊られた舞楽。 吉師舞、吉士舞等とも表記される。舞い方自体は伝承されていない。

楯節舞(たてふしまい:楯伏舞、楯臥舞等とも表記)と同じものと考えられる。 伝説では、神功皇后が新羅征伐後、凱旋し、安倍氏の祖先によって、大嘗祭で踊られたものであるという。

また、住吉大社には、神功皇后帰還の時、出迎えた、現在堺市にある七道浜の住人が、傘を被って踊ったものが起源であり、住吉踊りはこの伝統を継承している、との伝承がある。

ソース

作曲した伊福部昭氏は、木材の振動に関する研究で、林野局林業試験場に勤務する学者だった、とあります。

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