東京6大学の応援団の比較動画です。大学の感じをつかめる部分がありそうですね。
あいうえお順
慶応大学
*慶応義塾大学の塾歌(校歌)、学習院大学の院歌(校歌)、大村高校の校歌、そして大村市歌の作曲者は、信時潔(のぶとききよし)氏です。
大村高校は、校歌を通じても、高校時代から一流のものに触れることができます。
大村高校・校歌作曲者の信時潔(のぶとき きよし)氏を詳しく研究した本が平成17年(2005年)5月に発売されました。写真はその本です。 ...慶応大学の創設者・福沢諭吉(ふくざわゆきち)と、日本の近代医学行政の祖・長与専齊(ながよせんさい)(五教館出身)先輩は、大阪の適塾でオランダ語を学び、福沢諭吉の後の塾頭が長与専齊先輩でした。
そして、適塾から発展した大阪大学の初代学長が、長岡半太郎(ながおかはんたろう)先輩(五教館出身)。
大阪大学第二代学長が旧制大村中学一期生の楠本長三郎(くすもとちょうざぶろう)先輩です。
東大
東京大学医学部の前身・東京医学校の校長が、大村高校の前身・五教館の先輩である長与専齊(ながよせんさい)。三男・長與又郎(ながよまたお)が東京大学総長。
東京大学総長一覧より引用
法政大
法政大学第三代学長の大島誠治(おおしませいじ)先輩は、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)出身です。
経歴は、大村生まれ、五教館卒業後、大村藩から奨学金を受け、東大の前身・大学南校に進学。金沢大学の前身・旧制第四高等学校校長のあと、法政大学第三代学長。
法政大学HPより
明治大
一瀬勇三郎(いちのせゆうざぶろう)先輩が、明治大学の創立直後・明治14年9月から1年間にわたって、明治大学でフランス法の講義していました。
明治大学ホームページに出ている大村出身の一瀬勇三郎先輩
立教大
大村高校校歌、大村市歌を作詞した福田清人先輩が立教大学教授でした。
立教は、英語ではSt.Paul’s(セントポール)University、つまり聖ポール大学というそうです。東京六大学の中では唯一、キリスト教の大学です。
早稲田大
早稲田大学に残る大村の先輩が書いた文書
大村高校の前身・五教館出身で、大蔵官僚(現在の財務省官僚)だった岩崎小二郎(いわさきこじろう)先輩が、大蔵大臣(今の財務大臣)・大隈重信(おおくましげのぶ、早稲田大学創立者)にあてた手紙が早稲田大学に残っています。
原本全文は早稲田大学アーカイブにあります。
岩崎小二郎(いわさきこじろう)先輩の経歴の一部
大村生まれ、大村高校の前身・五教館出身。明治4年1月(1871年)から黒田清隆開拓次官に随行しアメリカ合衆国、ヨーロッパを訪問。
同年7月から大蔵省留学生としてロンドンで学び、1874年7月に帰国。大蔵少書記官、大蔵権大書記官兼銀行局長、大蔵省書記局御用掛などを歴任し、参事院議官補に就任し、法制局参事官となる。1889年12月、秋田県知事に発令されたが、胃病のため辞退し赴任せず、1890年3月、元老院議官に任じられた。同年5月、滋賀県知事に転任。以後、大分県知事、福岡県知事を歴任。
1980年代、早稲田大学文学部の学部長は、大村高校の前身・旧制大村中学出身の川副国基(かわぞえ くにもと)先輩でした。川副国基先輩の文書は、大村高校の年刊誌玖城(くじょう) 昭和49年(1974)の大村高校90周年号に残っています。
大村高校写真部OBリンク