まずはじめに、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
殺人犯を出した長崎東高・佐世保北高・諫早高校
佐世保北高バラバラ殺人事件
*追加:令和6(2024)年3月
佐世保北高在校生がおこした日本の犯罪史に残る大事件、佐世保北高バラバラ殺人事件の犯人、出所したようです。
犯人の経歴
長崎県立佐世保北中学→長崎県立佐世保北高1年在学中
犯人は佐世保北高校在学中にバラバラ殺人事件を起こしました。長崎県の教育を県立佐世保北中学で、中学1年からダイレクトに、たっぷりと受けて育っている犯人です。この事件で、長崎県が自慢している「命の教育」が何の効果もなかったことがはっきり証明されました。長崎県の教育、何か大きく間違ってきたのではないでしょうか?
犯人と長崎県庁との関係
犯人が写っている写真の背景は、なんと長崎県庁内です。そして手にしているのは、長崎県の旗です。長崎県の代表として、犯人を送り出していた長崎県庁だという事実。
長崎県庁が自慢する「命の教育」の効果はあったのか?
佐世保北高バラバラ殺人事件で、長崎県が自慢する「命の教育」が何の効果もなかったことが証明されました。そして、どこも採用しない「命の教育」に税金を投入し続けるのは間違いなのでは?それより、世界で3500万部も売れ、実績もあり影響力もある教育勅語(父さん、母さん、友だちを大事にしようという)を採用するほうが正しい教育のように思えます。
週刊誌より:佐世保北高バラバラ殺人事件(徳勝[とくかつ]事件)
昨年8月、佐世保北高の生徒がバラバラ殺人事件をおこしました。同級生を殺害した、いたましい事件でした。
長崎東高出身者による無差別殺人事件(嶋中[しまなか]事件)
それ以前に、長崎東高出身者がおこした無差別殺人事件があり、嶋中[しまなか]事件といいます。昨年の佐世保北高在校生の殺人事件もそうですが、長崎東高出身者がおこした事件も日本の犯罪史に残った大事件でした。
長崎東高出身者がおこした殺人事件のことを書きます。
犯人(当時17才)の父親は、長崎地方検察庁諫早支部の副*検事でした。父親は、息子が犯した罪の社会的責任を鑑(かんが)みて、潔(いさぎよ)く辞職しました。
*検事とは?=警察に逮捕され、警察から送られてきた犯罪者に尋問(じんもん)し、起訴(きそ)し、裁判にかけるかどうかを判断する国家公務員。
昔の、TVが一般家庭に普及する前の事件ですから、マスコミが忘れ去った古い事件だと思っていたところ、2014年(平成26年)九月に、朝日新聞系列のTV朝日で、長崎東高出身者がおこした嶋中[しまなか]事件が登場しました。TVのキャプチャ画面を貼っておきますね。
奇妙な事件が続発する長崎市・佐世保市の問題点
問題をおこす奇妙な人がでるのは、長崎市や神戸市周辺が多いのでは?他県では、都市の進学校から、長崎市や佐世保市のような問題をおこす人は出ていないように見えます。
理由はわかりませんが、九州では伝統校であるところから、事件をおこす人はでていないようです。熊本だったら済々黌(せいせいこう)や熊本高校、福岡県は修猷館(しゅうゆうかん)高校、長崎県なら大村高校が伝統校です。
少年・少女の犯罪を調べてみましたが、港町というカテゴリーの長崎市と同じである横浜市では、進学校の生徒は、長崎市や佐世保市のような奇妙な事件をおこしていないようです。
人口比でいえば、横浜市(約360万)は、長崎市(約40万)の9倍の人口です。神戸市(人口約150万)は、長崎市と同じく、さまざまな少年少女凶悪犯罪が発生しているところのようです。
長崎市と佐世保市の地形が問題?
長崎市、佐世保市、そして神戸市に共通しているのは、地形です。長崎市、佐世保市、神戸市とは違い、横浜市は山がなく、まったく地形が異なっています。
歴史が浅い長崎市と佐世保市
ほか、長崎市は、江戸時代以前の歴史がない町ですし、佐世保市は明治以前の歴史がない町です。福岡市や大村市は、太古より江戸時代を経て、近代を迎えた町です。
*なぜ昔のこと、歴史を知る必要があるのか?過去の学校のことを知る必要。でも、長崎県教育委員会や長崎県の教員たちは過去を消そうとしてばかり。
*戦国時代の西九州(長崎は大村領、大村氏が長崎の町を造成、諫早の西郷氏は豊臣秀吉にさからったので滅ぼされ佐賀領に、島原の有馬氏と武雄の後藤氏は大村氏と親戚)
*大村は墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)の時代から存在
大村市と長崎市・佐世保市の大きな違い
長崎市や佐世保市との違いは、大村市の場合、空港があるため東京や大阪のような、外部にある大きな世界につながっている気持ちになることです。
しかし、長崎市や佐世保市は、空港がないため、東京や大阪につながらず、地形から閉じ込められたような気分、つまり、アリ地獄の中に住んでいるような息苦しい気持ちになりそうです。
*画像はアリ地獄脱出より引用
長崎市や佐世保市の場合、空港がなく、アリ地獄のような地形から生まれる、閉じ込められたような鬱積(うっせき)したものが、犯罪につながっているのでしょうか。
実例:世界とつながる大村市
*平成2年/1990年 フランス・パリのドゴール空港からシンガポールを経由して、フランスのミッテラン大統領を乗せたエール・フランス社のコンコルド機が大村市の長崎空港に。マッハ2(時速2500キロ)なので、大村の長崎空港から東京の羽田空港まで約25分。世界とつながっている感覚。
フランソワ・ミッテラン 元フランス大統領(1916~1996)
***Air France、フランス語でエール・フランスと発音。英語読みしか知らない団塊世代のおじさん・おばさんが、どうしてエア・フランスと発音しないんだと、時々文句を言うそうです。世界は英語だけではないんですが。エール・フランス社のCM。
長崎県の弱点は、長崎市と佐世保市にたいした歴史がないこと
さて、以前の山川出版の高校生用教科書・日本史に、中世の都市として西九州に登場しているのは、門司、芦屋津、博多、太宰府、名護屋、そして大村です。長崎、佐世保、諫早、島原は、存在さえしていません。
中世の九州
長い間、日本で培われた道徳などの常識が、長崎市、佐世保市、両市ともにない町だからでしょうか?それとも、おおやけにできない風土的な問題なんでしょうか?
殺人犯を出した長崎東高・佐世保北高・諫早高校
長崎県では、長崎東高からは無差別殺人事件の犯人が出ました。佐世保北高からはバラバラ殺人事件の犯人が出ました。
諫早高校からは、諫早高校卒業生(当時、大学院生)が、殺人事件をおこしています。諫早高校は、不思議な学校で、諫早高校出身ではないのに、わざわざ朝日新聞を招いて講演会を開催した学校です。
横浜や神戸と違い、長崎や佐世保、そして諫早は、進学校の生徒および出身者が犯罪に手を染めることが問題ではないでしょうか?諫早高校出身者など大学院まで進学しながら犯罪に手を染めています。
実際、長崎も佐世保も諫早も、良い手本や見本にならないでしょうから、大村は決して真似してはいけないように思います。長崎市は、白昼に、長崎駅前で、市長(伊藤一長 氏)が暗殺される事件がおきた危険な都市です。
バラバラ殺人事件が発生した佐世保北高は教職員にも問題があるのでは?
なお、佐世保北高バラバラ殺人事件は、校長先生にも問題があるように思います。
読売新聞によれば、佐世保北高は、犯人の担任が校長に報告をするのを、担任自身の判断でわざと遅らせたとあります。
そして、安部成年校長が、安部成年校長自身の判断で、故意に県に報告しなかった事実が明らかになっています。
つまり、安部成年校長は、トラブルの報告を知っていたのに、TVの記者会見では写真にあるように、「トラブルの把握 まったくない」とウソをつきました。
問題がある生徒がいたら、担任は、すぐ校長に報告。校長はすぐに県に報告。そして判断を県に仰ぐべきだったんじゃないでしょうか?校長の資質にも問題があるように見受けられます。
世間的には、責任は、担任と安部成年校長が負うことになるのが筋だと思いますが、長崎県では、誰も責任を負わず、何もなかったことにするんでしょうか?長崎県のことだから、そうするんでしょうか?どうなんでしょう?
無責任とも思える発言?をTVでおこなった長崎県教育長
ところで、長崎県の教育長・池松誠二さんは、責任を負わず「教育が悪いんだ」と教育のせいにしたような発言をTVでされました。TV以外でも、この方は、自らの責任をのがれるためかどうかはわかりませんが、責任を教育に転嫁する発言をされた人物のようです。
しかし、長崎県の児童・生徒に教育している責任者は池松さんなのです。
長崎県では、教師が児童・生徒にたいして、しばしば「本人の自覚」という用語を用いてきました。現実は、教育の責任者自身に、本人の自覚がないということが、池松氏本人のTVの発言(全国放送)によって露呈(ろてい)しました。証拠画面も残っています。
結論
長崎県の教育を悪くしているのは、教育長を中心にした長崎県の教育者たち自身であるという証拠になっているようにみえますが、どうでしょうか?
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追加
追加:昭和59年(1984).8月23日 立山公園で長崎東高の女子生徒が殺害された事件発生(ご冥福を祈ります)。
長崎市が自慢する立山は、実は、江戸時代の処刑場で刑罰施設。前は長崎東高、今は歴史文化博物館ですが、本当は、土地柄が悪く、呪われた土地だと聞いています。
大村高校は、昭和24(1949)年5月25日、天皇陛下の行幸(長崎県内では大村高校だけ)を賜りました。
それ以前の明治29(1896)年2月27日には、初代の文部大臣・森有礼(もりありのり)氏の訪問を受けています。
開校からずっと、旧制大村中学には、長崎県知事は一度も来訪されませんでした。長崎県は開校以来、大村高校にいやがらせをしていましたから。
しかし、長崎県知事より早く、開校の翌年・明治18(1885)年にアメリカ領事館・パーク領事が来訪されました。創立者の大村純雄(おおむらすみお)伯爵はアメリカのハーバード大出身でした。
このころ、長崎県も長崎県知事も、ハーバード大がどのような大学か知らなかったそうです。当時、長崎県のハーバード大卒業生は大村純雄(おおむらすみお)伯爵だけでした。
https://omura-highschool.net/2015/01/24/135/