日本の物理学は、「東北の人たちが種を蒔き、大村の人たちが花を咲かせた」、
「九州の大村」と書かれています、長崎県の大村と書かれていないところが、本質を突いていて、いい記述だと思いました。
長岡半太郎が大村で生まれ育った頃は、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)の時代です。長崎県がなかったのですから、長崎県の影響はまったく受けていません。
*江戸時代は「肥前(ひぜん)大村の大村藩」と呼ばれていました。
朝永家と長岡家のことも、きちんと書かれています。

*「天才と異才の日本科学史」角川書店
紙の本も電子本もあります。電子本ならすぐ読めます。
そのほか、日本の科学において、後進の物理学を学ぶ学生に最も影響が大きかったのが長岡半太郎と出ています。


在校生や、長崎県から一歩も出たことがない長崎大学卒の先生方は、実感として、何もわからない人たちなのかもしれません。
が、進学し、他所(よそ)の土地に出たら、自分の出身校、出身地からどんな人が出たのか、必ず聞かれます。
自分と同じ環境で生まれ育った人から、どんな人が出たのか、重要なことなので、知っておいたほうが良いでしょう。大村は有利です。現在の日本につながる巨人が何人も出ていますから。
長崎市からたいした人物が出ていないため、長崎県教育委員会はわざと教えないので、各自、学習しておきまししょう。
*長崎市は場所・地名としては有名だが、日本社会に名を残す人が出ていません。環境という意味で、現在、各指標を比較すると、長崎市は、住みにくい町になっています。大村市の方が暮らしやすい町になっています。
↓以下、大村の先輩関連

