*写真:バス停で↑↓
*写真:横浜DeNAベイスターズ本拠地 日本大通(にほんおおどお)り駅(地下鉄/神奈川県庁の最寄駅)にて
さて、2冊の小説に大村高校が登場しています。
1冊目:「未だ行ならず」
1冊目は、2019年現在のシリーズ累計220万部突破の歴史小説
江戸時代、寛政年間(1789年〜1801年)、つまり18世紀末の話ですから、大村高校の前身として日本で2番目に開校した学校・集義館(しゅうぎかん)のあとの五教館(ごこうかん)・治振軒(ちしんけん)です。
小説の名は「未(いま)だ行(ぎょう)ならず」作者:佐伯泰英。
*学校名の変遷(江戸時代)
集義館(しゅうぎかん)→五教館(ごこうかん:学問)+治振軒(じしんけん:武術)
玖島城
まず、今も存在する玖島城が登場
次に、大村高校の前身・治振軒(じしんけん)として登場
長崎歴史文化博物館はウソの歴史を発表しているから信用しないこと
この小説は、歴史的に詳しく調べてあります。具体的には、長崎歴史文化博物館では、事実を無視した歴史になっていて、「長崎を守ったのは兵だけだ」のように書かれているので、長崎歴史文化博物館の出すウソの歴史は信用しないこと。
長崎歴史文化博物館の公式資料が伝えるウソ(意図的に歴史的事実を伝えないやり方)
これが長崎市、長崎県庁、長崎市の歴史家が長年やってきたウソの手法です:詳しい歴史的事実は書かないで、何でも長崎市が一番だという意思だけ主張するもの
長崎市から出る資料には、絶対に大村を主役にしないというウソが、いつも全てにおいて、つまっています。
あれぇ?なぜ、大村純忠公が開港した事実は書かないのかな?
長崎がなぜ、大村純忠公によって開港された経緯(いきさつ)は書けないのかな?
ルイス・フロイスの日本史
ルイス・フロイスの「日本史」という第1級の資料を長崎歴史文化博物館では読んでいないのかな?それとも長崎市全体で、歴史的事実を知らせないという悪だくみの意思があるからなのかな?
*アマゾン Kindle版
大村純忠の登場は9巻〜12巻
大村の家来だったので、長崎氏に関しては9巻に邸(やかた、長崎の殿の邸)として登場するだけです。長崎氏は大村の家来で、決定権のない「雇(やと)われ店長」みたいなものでしたから。長崎市の歴史家たちは、この歴史的事実を知られたくないようで、隠してばかりなのでしょうか?
動画で知ろう!ルイス・フロイスの生涯
長崎県庁と長崎県教育委員会、それに長崎歴史文化博物館にダマされないように、動画で学習しておこう!
長崎歴史文化博物館が歴史的事実を消している大村純忠の登場は2分11秒より
日本の歴史上、商人による自治都市だったのは長崎ではありません、大阪の堺(さかい)だけです
長崎ではいつも、対馬の朝鮮貿易のことと、鉄砲の量産に成功した長崎以前の貿易港である大阪の堺(さかい)が無視され、なんでも長崎が一番だという発表がなされています。
堺は、長崎以前の貿易港であり、鉄砲の量産に成功しています。それに現在も日本文化として世界に誇ることができる茶道を生み出した千利休(せんのりきゅう)が出ていて、文化もあった堺港。また、長崎村の長崎港と違い、堺は商人(しかも大富豪)による完全自治都市でした。
以上の図のダウンロード:pdf
大村の名前を消してばかりの長崎歴史文化博物館公式資料
誰がどういう経緯で開港したかは伝えない(大村の名前を消してばかりの)長崎歴史文化博物館公式資料より
長崎の開港は平戸の海から始まっていませんよ。後藤貴明の反乱で横瀬浦が焼き討ちにあったことから始まっていますよ。この点で、長崎歴史文化博物館はウソを流布しています。
ルイス・フロイスが大村領だった西彼杵(にしそのぎ)の横瀬浦に漂着したことはまったくなかったことにして、一切書かずに、意図的に史実を消している長崎歴史文化博物館。
実は、大村領・長崎港が大村純忠によって開港されるまでは、大村領の港は、西彼杵の横瀬浦でした。この当時の大村領の長崎村はジャングルで、ルイス・フロイスの日本史にも「弱勢の村(町ではない)」と記されています。この事実を、長崎県庁や長崎市は、県民に知られたくないからウソを流布してばかりなのかな?
*横瀬浦の位置
武雄の後藤貴明(大村純忠の義理の兄弟)が反乱を起こし、横瀬浦の港を破壊し焼いてしまいました。そこで困った大村純忠公が、それまで人が住んでいなかった長崎村に港を定め開港したのですが、長崎市の歴史家たちは、いつもこのことを隠し、なんでも長崎市が一番だと主張しウソの歴史を押しつけてきます。
【在校生向け】織田信長と大村をつなぐルイス・フロイス 3:大村純忠公を暗殺しようとした諫早、そして日本初公開のルイス・フロイス書簡集
長崎歴史文化博物館の出す歴史は、いわゆる、長崎自己中心主義という歴史観
ご存じのように、何でも長崎が一番、長崎以外は認めないという歴史観で、長崎県庁と長崎市の歴史家たちは、ウソの歴史を大声で語りたがります。が、この小説は小説ですが、歴史的なことは事実が書かれているので、安心して読めます。
長崎県から一歩も出ないままの人生なら、長崎県庁、長崎県教育委員会のウソばかり教えるやり方はいいかもしれません。が、そうではないない人がいることを、長崎県庁は知るべきでしょう。長崎県を離れて事実を知ると、長崎県庁と長崎県教育委員会がやってきたことは間違いだらけだったとわかるのです。また、国民の税金を使って、意図的に長崎県庁と長崎県教育委員会がウソを児童・生徒にすり込んでいたんだなぁとわかります。
大村高校の歴史を知らない人へ
*写真:神奈川県庁前 交差点
横浜と大村高校
2冊目:「秋の目玉」
2冊目は、旧制大村中学時代の回想が書かれた小説
当時のマラソン大会の練習方法、授業のこと、水泳大会(玖島崎〜臼島)のことなど、大正時代の大村と生活が書かれています。大村高校の分校として開校する(諫早高校の前身である)旧制諫早中学などなかった時代です。
小説の名は「秋の目玉」、著者は大村高校の校歌、大村市歌、玖島中学校校歌、長崎南高校歌を作詞した、福田清人(ふくだきよと)先輩です。この本は絶版になっていて、新刊はありませんが電子書籍で現在も販売されています。
*写真:横浜市 建設中の真ん中のビルはタワーマンション、右の白い建物は2020年オープンの横浜市役所
福田先輩は、東京から大村に帰省(きせい)して、母校の旧制大村中学でで講演された黒板(くろいた)先輩の話を、在学中に聞いて進路を決めたエピソードがあります。
黒板勝美(くろいたかつみ)先輩の経歴
西大村生まれ、旧制大村中学二期生→国立第五高等学校(現在の熊本大学)文科→東京大学文学部→東大教授