第二次世界大戦中 東京・早稲田中(現、早稲田高)から旧制大村中学(大村高校の前身)に転校してきた生徒の記録

第二次大戦末期、東京・早稲田中学(現、早稲田高校)から大村に転校してきた人の記録です。

当時、東京から大村への移動は、列車でした。東京から大村までの道中、各都市がどうなっていたか記録されています。通常の列車と違い、疎開列車は、東京から門司港まで3日かかったようです。米軍が、広島に原爆を投下する前のことも書かれています。

東京から大村(久原1丁目の東浦)にきたら、食べ物にも家にも困らなかったという記録が書かれています。東浦の漁業従事者が、戦争で、応召(おうしょう)で、戦地に出ていたため、漁師がいなくて、漁師でなくても魚が豊富にとれたようです。

この文章の作者(故人)は、戦争が終わったのちに、早稲田大学に進学しています。

【在校生向け】もう一つの大高と東浦、そして水主(かこ)町

【在校生向け】文系は東京の大学のほうがいい理由:狭い世界しか知らない長崎県の教員たち

同窓会も教員も忘れている?大村高校の歴史:天皇陛下の行幸を賜った日

大村の先輩のインタビュー記事が見つかりました:マラソン大会1回〜3回優勝、帝国海軍No.2の技術将校(竹松小出身)

大村の先輩のインタビュー記事が見つかりました 2:英語弁論大会で優勝していた帝国海軍情報部長

【このページの情報を拡散する】