
大塩平八郎が、天保8(1837)年2月19日に、大阪で幕府に対して反乱をおこしました。この知らせが大村に伝わったのが3月2日。

その時、大村に滞在していた松浦武四郎(まつうらたけしろう)が、文書で、大塩平八郎の乱がおきたことが大村に伝わったことを残しています。

*大塩平八郎の乱
大塩平八郎の乱」とは、江戸時代後期の1837年(天保8年)に「大塩平八郎」(おおしおへいはちろう)らが大坂(現在の大阪府大阪市)で起こした反乱のこと。社会科の教科書にも載る非常に有名な事件ですが、もともとは幕府の役人であり著名な陽明学者であった大塩平八郎が、なぜ反乱を起こすことになったのでしょうか。大塩平八郎の乱が起こった経緯と、反乱のあと世のなかにどのような影響を及ぼしたのかを合わせて紹介します。
松浦武四郎というのは、三重県松坂市の出身で、蝦夷(エゾ)と呼ばれていた場所に「北海道」という名前をつけた人。今も北海道と言います。松浦武四郎の家は現在も残っていて、コロナ前の2019年に見学してきました。
*松浦武四郎の家
昔、大村の大村港(琴浦橋付近)から大阪に船が出ていました。現在も、海上タクシーというもので、時津から大村に船で渡るルートが残っていますが、当時も大村から長崎に行く人は、長崎街道の諫早を経由しないで、大村から長崎までの近道として、船で直接、時津に渡ることがありました。
松浦武四郎も、徒歩で、諫早経由で長崎に向かったり、大村から船で長崎に向かったりしています。大村に泊まっている時に、大塩平八郎が大阪で幕府に反乱をおこしたことが伝わったのです。
北海道に行くと、松浦武四郎という名前が書かれていたり、名前を耳にします。ゴールデンカムイより、少し前の時代、まだ開拓されていなかった時代、北海道を探検してまわっていた人なのです。
*北海道・十勝新得の歴史より

大塩平八郎は、もう少しガマンすれば、あと16年ほどガマンすれば、アメリカ太平洋艦隊ペリー提督が率いる黒船が神奈川県浦賀沖から、東京湾に入り、幕末が始まり(1853年)、江戸幕府が倒れ始めたのに。少し早すぎました。
