平成14年/西暦2002年 1月開設、おかげさまで24年。
当サイトは、当時、大村高校東京同窓会会員の先輩方により非営利で開設されました。卒業生が二人以上集まれば同窓会です。卒業生同窓会の意味です。
当サイトは、日本で日本語のフェイスブックが始まるより6年早い時代から運営中(アメリカでスタートしたFacebookが日本で始まったのは2008年)。
卒業生プロジェクトの公式サイトです。同窓会の公式サイトではありません。
当サイトには、大村高校(そして五教館、旧制大村中学)の悪口はどこにも書いてありません。大村市の悪口も書いてありません。
当サイトは親睦を目的とするものでありません。
時事のほか、必要なのに、長崎県では消され、意図的に隠され無視され、長崎県は教えないが、知っておくべき大村の先人の歴史を発掘し、史実と事実をわかりやすく共有し、視野を広げることも目的としています。また日本神話も含みます。
事実を知ることが重要です。
*長崎県と長崎市が出す歴史にウソがあると知ったきっかけは、長崎県が長崎県の予算を使用して、東京で配布した観光用のパンフレットでした。
天正の少年使節について書かれた記事ですが、そこには大村純忠の名が書かれていませんでした。大友宗麟、有馬晴信だけしか書かれていませんでした。大村の名はまったく出ていませんでした。意図的に長崎県が大村の名を書いていないことがわかりました。
それから、知り合い(複数)が、東京・羽田から大村経由で長崎市に旅行したさい、長崎歴史文化博物館のパンフレットをわざわざ持ち帰り「これは変じゃないのか?」と教えてくれたことです。
見てみると、長崎が開港したのは、平戸のおかげだけと書かれ、大村の名前がまったく書かれていません(今も配布されているのでは?)。長崎村が大村領だったことも、まったく書かれていません。
だまって長いものに巻かれる式で、見過ごすこともできるのですが、これはちょっとひどすぎると思いました。なぜなら他の地域のものには、正確に大村純忠の名が書かれているからです。
岐阜城(織田信長の城)のものと比較してみてください。
↓
*岐阜城
【在校生向け】織田信長と大村をつなぐルイス・フロイス 3:大村純忠公を暗殺しようとした諫早、そして日本初公開のルイス・フロイス書簡集
*長崎
誰がどういう経緯で開港したかは伝えない:長崎歴史文化博物館公式資料より
長崎の開港は平戸の海から始まっていないのでは?後藤貴明の反乱で横瀬浦が焼き討ちにあったことから始まっています。この点で、長崎歴史文化博物館はウソを流布しているのでは?
ルイス・フロイスが大村領だった西彼杵(にしそのぎ)の横瀬浦に漂着したことはまったくなかったことにして、一切書かずに、意図的に史実を消しているのが長崎歴史文化博物館?


