大村と豊臣秀吉のつながりに関しては、しばしば文書を見ます。しかし、織田信長と大村の関係性は、明らかになっていない部分があります。
岐阜に行き、気がついたことがあるので、書かせていただきます。
まだ、長崎市の領域がジャングルで人が住めない町だったとき、大村領の横瀬浦にポルトガル人宣教師ルイス・フロイスがやってきました。大村領での活動などは、さまざまな文献で明らかになっているので書略します。
さて、現在の時間の感覚でも遠いと思えるのですが、ルイス・フロイスは、大村から、織田信長に会うため岐阜に行きました。
飛行機も、鉄道も、高速道路もない450年前に、大村から岐阜です(現在、時速250キロ〜300キロのJR東海の新幹線で大阪→名古屋が1時間です。在来線だと3時間半くらいかかります)。
大村領内からは、ルイス・フロイスは、船で当時の自由貿易都市・堺まで行き、堺から徒歩で、岐阜です。
信長の時代は山城です。お城が山の上にあるのです。信長の居城だった岐阜城は、現在はロープウェイで上れますが、当時から昭和時代半ばまで、登山しなければ岐阜城には到達できないのです。
織田信長は、ルイス・フロイスを「鵜飼(うか)い」で接待しています。その「鵜飼い」は現在も続いています。「鵜飼い」にも行ってきました。
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【在校生向け】織田信長と大村をつなぐルイス・フロイス 3:大村純忠公を暗殺しようとした諫早、そして日本初公開のルイス・フロイス書簡集