*宿泊先で、朝食です。
東海道、七里の渡し、宮(みや)
名古屋市熱田(あつた)神宮と「七里(しちり)の渡し」と呼ばれる場所に行ってきました。
幕末まで、大村・五教館(ごこうかん)の先輩は、参勤交代(さんきんこうたい)で、一年ごとに江戸・日本橋(現在の東京都中央区日本橋)を目指して、大村・玖島城から旅立ちました。江戸の大村藩邸は、現在の国会議事堂となり、国立国会図書館の場所でした。
大村から小倉(北九州市)までは徒歩、小倉から大坂(現在の大阪)までは船、大坂・堂島の大村藩邸から京都・三条大橋までは船。京都・三条大橋から江戸の日本橋までの東海道五十三次(ごじゅうさんつぎ)までが徒歩でした。
しかし、すべてが徒歩ではなく、一カ所だけ、東海道に船で移動しなければならない場所がありました。その場所が、桑名(三重県桑名[くわな])から宮(愛知県・熱田神宮[あつたじんぐう])の七里の渡し(しちりのわたし)と呼ばれるところでした。
宮(みや)と呼ばれた場所
現在の、名古屋市熱田神宮そばにある「七里の渡し」です。
場所は復元されて、現在も、昔の面影がわかるようになっています。
*七里の渡し(名古屋市熱田区)
参勤交代のルートは徳川幕府により決められていたので、殿様も、大村・五教館(ごこうかん)の先輩も、この場所にきていたのです。
長崎市と同様、輸送手段が船だけだったときは、栄えていましたが、自動車、鉄道による陸上交通が発達したので、現在は廃(すた)れた場所になっています。
宮から、熱田神宮は徒歩圏内です。
熱田神宮とは?
1900年前に創建された神社です。日本武尊(やまとたけるのみこと)が8つの頭をもつ大蛇、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した剣(つるぎ)が保管されています。
かつて、新羅(しらぎ=滅びてしまった朝鮮半島の国)から盗賊団が来日して、この剣を盗み出しましたが、日本から出国前に、犯人をつかまえることができて、再び剣は戻りました。昔から朝鮮民族は悪いことばかりしていたことが、事実からわかります。
さて、鎌倉幕府を開いた源頼朝(みなもとのよりとも)の母親が、熱田神宮・宮司の娘でした。源頼朝は、鎌倉に幕府を開き、すぐに鶴岡八幡宮(つるおかはちまんぐう)という神社を、鎌倉に創建しました。
大村の先輩も、間違いなく、武運長久(ぶうんちょうきゅう)や、無病息災(むびょうそくさい)、そして子孫繁栄を願い、江戸に向かう途中、七里の渡しで宮から乗船前に、あるいは、江戸からの帰り、熱田神宮に参拝したものだと思われます。
なんだか知らない列に並んだら、毎月一日(ついたち)だけ販売される限定品の「あつた宮餅」というものを購入することができました。名古屋弁でおばあさんたちが言っていた「どえりゃあ人がならんどるでよ」(たくさん人がならんでいるよ)と耳にしたのが印象的でした。
現在も神社は繁栄し、賑(にぎ)わっていました。
*熱田神宮
景行天皇と大村
大村高校のある久原(くばら)の隣り、玖島(くしま)の地名は景行(けいこう)天皇が九州行幸のさいに名付けられました。そして、熱田神宮は景行天皇の息子である日本武尊(やまとたけるのみこと)の剣(つるぎ)を祀(まつ)ったことから始まった由緒正しい場所で、現在もパワースポットです。
古代、大村に行幸された景行天皇は、愛知県の景行天皇社に祀ってあります。トヨタ自動車本社の愛知県豊田市に行く途中の愛知県長久手(ながくて)にありましたので、こちらも参拝してきました。
*景行天皇社
実は、知られていませんが、愛知県は京都府より神社仏閣の数が多いのです。キー放送局・出版社が東京と関西にあるため、愛知県のことは取り上げられないことが多く、事実が知られていないのだと思いました。