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旧制大村中学の先輩多数がご存命だったころは、話が伝わっていました。知らない人も多いので伝えておきます。調べてみると、事実だとわかります。
財閥の創始者と大村
調べてみると
大村高校の歴史を調べると、大村高校からは、明治維新以来、三菱グループのトップなった人が数十人登場しています。三井、住友グループの各企業のトップになった先輩もいらっしゃいます。たとえば三井系だと日本経済新聞社長になった杉田先輩。
しかし、ダントツで多いのが三菱グループです。
三菱重工も2名がトップになっていますし、日本最大の損害保険会社である東京海上(三菱グループ)など、平成初期、大村の先輩が2名続けて社長になっています。
伝えておきます
この秘密を書いておきます。
三菱は、土佐(高知県)出身の岩崎弥太郎氏が創始者です。土佐藩と大村藩は、幕末、親交がありました。
その中心人物は、玖島(現、大村市玖島)で生まれ育った、大村高校の前身・五教館(ごこうかん)出身の渡邊昇(わたなべのぼり)先輩です。
参考:渡邊先輩のことが水木しげる(ゲゲゲの鬼太郎作者)のマンガ(幕末の新撰組の)近藤勇[こんどういさみ]に登場していました。
また、さまざまな縁で、高知県の進学校である土佐中学(土佐高校)の初代校長は、大村の三根先輩です。
大村高校出身者が大学生で就職活動する場合
大学生で、就職活動する場合、業界を調べ希望する職種があるならば、大村高校出身者は、迷わず三菱グループを目指しましょう。また、大学生は、業界を調べ希望する職種があるならば、三菱グループに入社できるように、手を抜かずにしっかり勉強しましょう。
諫早高校出身者が、どこの大学を出ても、成績だけ良くても入社できないような企業に、なぜか大村高校出身者が入社できるのは、江戸時代からの長いおつきあいで、信頼されているからなのです。企業は私企業ですから採用の自由があります。
それに、大村高校出身者は、財閥の一族の方と結婚した方も多いです。わたくしの親戚にも一名。その親戚の結婚式に、何の関係もないのに、わざわざ長崎県知事本人が出席されたのには本当に驚きました。
諫早出身者は歴史的にすぐ裏切る根性でしょう。最近だと、諫早市医師会。長年つきあいのあった自民党を、民主党政権になったとたんに、あっさり裏切りました(事実)。
戦国時代は、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの日本史を読んでみると、諫早の人間性が信頼されていないことがわかる記述があります。*当時は諫早(いさはや)ではなく伊佐早(いさはい)と表記し発音。
信頼されるには時間がかかります
有力者、有力企業から信頼されるのには時間がかかります。成績だけ、偏差値だけで、人間性はわからないのです。
実際、150年以上も後輩のわたくしたち大村高校卒業生が、大手企業の方々から「信頼される」という道筋を切り開いてくださったのは、五教館(ごこうかん)の先輩の皆様のおかげなのです。
だから、五教館(ごこうかん)の先輩の皆様には頭が下がる思い、つまり感謝する気持ちが必要だと思うのです。体を張って戊辰(ぼしん)戦争で戦い、勝ち取った五教館の先輩がいらっしゃったからなのです。角館(かくのだて、秋田県)で戦死された浜田少年もそのメンバーの一人でした。
ダメな事例:長崎西高出身者
実は、長崎西高で、高校時代に成績が良く、長崎県で一番の人がいました。現役で東大に入学しましたが、大学時代に成績が悪く、公務員を落ち、企業はすべて落ちました。結局、その人の父親が、東京とつながりがある大村のある家に泣きついてきて、その息子は、やっと就職が決まったという事実があります。
その人の父親は長崎東高出身で、職業は教員でした。この事実でわかったことは、長崎東高も長崎西高も、大企業の上の世界にまったくつながりがないということでした。
なお、長崎市の人は、この手はもう使えません。なぜなら、この教員の親子は、就職が決まったとたんに、挨拶ひとつ大村市のお世話になった方にしてきませんでした。それっきりでした。
普通は、就職を決めてくれた方には、その後はお礼の挨拶に出向いたりしたり、年賀状を出したりはするのですが、この教員の親子は、就職がきまったとたんに手のひらを返すようなことをしたからです。つまり、「やっぱり長崎市の奴はダメだよなぁ」と信用をなくしました。
さて、「高校入学時の偏差値だけがすべてだ」と考えている人には理解できないと思います。現在、大村高校の先輩が、三菱グループ役員であり、まだまだ上に行けそうなポジションです。在校生の自信にもなると思います。ご存じの方も多いと思います。
大村高校とメガバンク
実は、大村高校の先輩、現在、三菱東京UFJ銀行の役員になっています。経歴は、大村小→玖島中→大村高校普通科(文系)→東大法学部→三菱東京UFJ銀行。
役員となった先輩と同期だった方は皆ご存じだそうです。大村市内でお店を経営している同期の方がパリ(フランスの首都)に旅行したら、たまたま、当時三菱銀行パリ支店勤務だったとかで、偶然、パリのシャンゼリゼ通りで再会されたそうです。
エピソードとしては、文科系で数学が得意で、大村高校時代に「月刊 大学への数学」という雑誌において出題される「学力コンテスト」の難問を解き投稿、成績優秀者としてしばしば名前が掲載されていた先輩でした。三菱東京UFJ銀行役員になった先輩のお姉さんは、大村高校普通科(文系)から、津田塾大学英文科に進学されました。