写真:金沢駅
以前、長崎のある大学教授(他界されました)が言ってました、「大村は天守閣がない城で、大村氏はたいしたことがない」と。
大村が、ジャングルだった長崎村を開発し、開港したことを知らないのでしょう。
長崎の大学の方々は、ウソをもとに大村を見下す習性の方がいらっしゃって、言いたい放題にさせると天狗になるので、今後は事実と証拠で、きっちりと反論し、天狗の鼻はへし折っていくべきではないでしょうか。一例として、見下していることがわかる証拠を、長崎大学がホームページで発表しています。
さて、日本一の大藩だった加賀百万石・金沢城も天守閣がありませんでした。なぜでしょう?
それは外様(とざま)大名だったからです。大村も外様でした。
知らない人は、親藩(しんぱん)、譜代(ふだい)、外様(とざま)の意味くらいは確認しておきましょう。外様は、天守閣を築造すると、徳川から一挙に取りつぶされてしまいますから、敵意がないことを示すために、あえて築造しないということで、大藩である加賀・前田も、小藩の肥前・大村も、現在まで続いています。
それから、東京大学の敷地は、加賀・前田家の江戸藩邸でした。大村の江戸藩邸は、明治時代はドイツ大使館で、現在は国会図書館(国会議事堂のとなり)になっています。
江戸時代に参勤交代で、大村・本町の本陣から江戸にのぼった五教館の先輩の方々が過ごした場所でした。