本を読む時間が取れないかたは、動画の予告編。
このアニメに登場する戦闘機のモデルは震電(しんでん)と言い、第二次大戦(日本では大東亜戦争)末期、昭和20年(1945)、福岡の九州飛行機で、テスト機だけが製造されました。高速度の戦闘機を目指しましたが、戦争には生産が間に合いませんでした。
*当時の試験飛行映像が残っています。
*令和6年/2024年、映画「ゴジラ マイナス1」に登場した震電
1分54秒より
旧制大村中学時代、学徒動員されていた父親から聞いたのですが、後付けの話かもしれないので事実かどうかはわかりません。
が、この航空機の話は、戦争末期、海軍の大尉により大村に伝えられ、学徒動員により、海軍の工場で働いていた旧制大村中学生徒にも有名で、希望にもなっていたそうです。
後ろにプロペラが存在する新型の速い飛行機が開発されれば、B29爆撃機による空襲により日本の民間人を大量虐殺し続けていた米軍を圧倒できるかもしれないという理由で。
大村の海軍・航空敞(こうくうしょう=飛行機工場)で、旧制大村中学の生徒(わたくしの父がこの中にいます)
あまり知られていませんが、当時、海軍の工場は空廠(くうしょう)と呼ばれ、そこには旧制大村中学生徒のみならず、旧制諫早中学の生徒も動員され、その中には、ノーベル賞の故・下村博士もいらっしゃいました。
故・下村博士は、旧制佐世保中学(現、佐世保南高校)から旧制諫早中学に転校。そして、旧制諫早中学では1回も授業は受けてなくて、旧制諫早中学に通ったのは卒業式の日たった1日だけ、あとは毎日、大村の海軍空廠(くうしょう)に通ったという記録があります。
諫早の生徒(当時)は記録を残していませんが、大村の生徒(当時)は、記録を残しました。その本が不帰春(ふきしゅん)です。
「不帰春(ふきしゅん)」に関して
*日本に空襲していた米国のB29爆撃機に関して
大村の高射砲群は、現在の国立長崎中央病院付近にありました。
名古屋では高射砲によりB29を撃墜しています。
*九州飛行機が製造した本物の震電は、敗戦後、アメリカが持ち去り、スミソニアン博物館になぜかバラしたまま展示してあります。
おそらく、日本がかっこいい飛行機を開発していたことを知られたくないため、アメリカはいやがらせのように、震電だけ、バラしたまま展示しているのではないでしょうか。
第二次大戦中、ドイツや日本の飛行機にくらべると、アメリカの飛行機はカッコ悪いですから。現在のドイツ車や日本車に比べ、アメリカ車がカッコ悪いのと同じ感覚です。設計思想が違いますから。
旧帝国海軍機の塗装は、ジオン公国のモビルスーツ「ザク」を彷彿(ほうふつ)させます。
震電が登場した「ゴジラ−1」
*VR震電
*震電(しんでん)の原寸大模型は福岡県の大刀洗(たちあらい)に展示してあります。