【在校生向け】織田信長と大村をつなぐルイス・フロイス 3:大村純忠公を暗殺しようとした諫早、そして日本初公開のルイス・フロイス書簡集

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*画像:展覧会チラシより

ルイス・フロイスが日本の歴史に登場するのは、大村領に上陸してからです。ルイス・フロイスが初めて会った戦国大名は大村純忠、そして、まだ全国統一をなしとげていない織田信長でした。

町になっていた大村と違い、当時、長崎市の領域はありません。大村純忠公の長崎開港前は、長崎市の領域はジャングルでした。長崎地方という言葉もありません。この点で、長崎県庁はウソの歴史を流布しています。長崎市の歴史家と長崎県庁が流布するウソの歴史にだまされないようにしましょう。なんでも長崎市が一番だと、長崎市の歴史家と長崎県庁は、長崎県民に対してウソの歴史を刷り込み続けていますから。

長崎市の領域に戦国大名がいなかったことが悔しいので、大村と有馬のことを無視する長崎市の歴史家たちが多いと聞きました。

*織田信長の岐阜城内の展示物です:ちゃんと大村純忠公の名がありました。

さて、織田信長の岐阜入城450年を記念して、ルイス・フロイスの書簡集が日本で初めて展覧会で公開されます。ルイス・フロイス書簡集の公開はこの(2017年)7月14日から7月21日まで。わたくしも時間をつくり見学に行く予定です。

*岐阜市の位置

フランシスコ・ザビエルは有名ですが、文章が下手で、文才がなかったようです。だから、ザビエルの本がありません。ルイス・フロイスは文才があったようで、現在まで文書が残っています。興味深い日本と当時のヨーロッパを比較した比較文化の本が残っていて、450年後の私たちも読むことができます。大村領に滞在していた期間が長く、大村領内で亡くなっています。したがって、本には当時の大村領と思われる記述もあると感じます。

ルイス・フロイス著:ヨーロッパ文化と日本文化 岩波文庫

ほか、ルイス・フロイスは「日本史」という大作を書き、当時の大村と諫早の殿様の違いが書かれています。諫早の殿様はずるがしこく、大村純忠暗殺計画を実行しました。事前に情報が入り、大村純忠公は、諫早の殿様が実行した暗殺計画をかわしています。

諫早と大村の対立の原因は諫早にあることが、史実でわかります。

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16世紀、ポルトガルからやってきた宣教師*ルイス・フロイスの日本史に詳細が書かれています。
*宣教師 ルイス・フロイス:1533年ポルトガル リスボンに生まれ~1597年大村領長崎(当時)にて死す。

ルイス・フロイスによれば、現在は諫早と書いてイサハヤと発音しますが、当時は伊佐早と書いてイサハイと発音(早岐をハヤキではなくハイキと発音するように)していたようです。

さて、大村と島原に対立して、秀吉のもとに出向かなかった諫早は、秀吉に滅ぼされ、佐賀の領土とされてしまいます。

大村と諫早の対立原因。そして詩人・伊東静雄(いとう しずお)先輩について

ルイス・フロイスの日本史で大村が登場するのは9巻〜12巻です:

長崎市の領域がジャングルだった当時の国際貿易都市は、大阪の「堺」でした。休みを利用して、堺には、先日行ってきましたので、そのことは後日書かせていただきます。堺市にはザビエル公園というものがありました。

なお、ルイス・フロイスの書簡が公開される岐阜市歴史博物館は、ルイス・フロイスも歩いて登った岐阜城がある金華山(きんかざん)ふもとにあります。

*頂上にあるのが、ルイス・フロイスも登った岐阜城

アクセスは、東海道新幹線で名古屋駅下車。JR快速で岐阜駅まで約30分。名古屋駅周辺に土地勘(とちかん)があるなら、名鉄特急ミュースカイ(全席指定の快適な列車)でも30分です。

*名鉄ミュースカイ

*岐阜歴史博物館

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