福岡市で元寇の防塁を見て、再発見したこと

福岡出張。時間を作って、元寇の防塁を見てきました。

今回は姪浜(めいのはま)の防塁ではなく、西南学院大学内で見つかった防塁です。

福岡市営地下鉄で、西新(にしじん)から徒歩で、西南学院大学へ。パンフレットもいただいてきました。

再発見したこと3つ。
1.元寇の防塁は、現在の福岡市全域を覆う長距離の防塁だったこと

西南学院大学作成パンフレットより

2.第二回のモンゴル+朝鮮連合軍による日本侵略が予定されている情報が鎌倉幕府にもたらされていた。そこで、防塁を現在の福岡市全域に当たる海岸線に急造。短期間に築城したものだが、頑丈につくられた(だから現在まで残っている)。また、防塁は、モンゴル騎馬がこえられない高さと幅を想定して設計してあったこと。

3.ゆえに、モンゴル軍を撃退したのは、気象状況の神風だけではなく、私たち日本人の土木技術、そして勇ましい鎌倉武士による軍事力もあったことがわかりました。

【在校生向け】なぜ日本に3度目のモンゴル侵略(元寇)がなかったのか?そして和弓とアーチェリーの違い

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