小笠原諸島は、東京都です。東京都小笠原村。小笠原の中心地が父島です。人口約2000人。
*海上保安庁より:小笠原を確認

小笠原は予算が潤沢な東京都だけあって、インフラが充実していました。道が整備されていました。
小笠原は高校の修学旅行先にもなっています。東京のみならず、関西の学校の修学旅行先になっています。小笠原は、中国人などの迷惑な外国人がいないので、よい環境だと思います。


父島に上陸。


父島には大村が。大村海岸という地名がありました。小笠原諸島は東京都ですから、東京弁でした。


岬の先は、第二次大戦中、米軍の少尉だったブッシュ元大統領が日本軍から打ち落とされた場所です。3人乗りの飛行機で小笠原を攻撃中に、日本軍の対空砲火で撃墜されました。乗員3名のうち2名戦死。ブッシュ元大統領だけが生存。

wikipediaより
ジョージ・H・W・ブッシュ
George H. W. Bush
軍歴 1942 – 1955
最終階級 中尉(Lieutenant Junior Grade)
戦闘 第二次世界大戦少尉時代の1944年に参加したマリアナ沖海戦では日本機の銃撃によって乗機のTBF-1Cを、中尉時代の1944年9月2日には小笠原諸島沖で父島地上砲台の対空砲火を浴びて乗機のTBMを撃墜されているが、いずれも味方に救助され生還している。
↑ブッシュ少尉が搭乗し、日本軍に撃ち落とされたTBMとはどんな航空機だったのか?
アメリカ・グラマン社の雷撃機 アヴェンジャーTBM: 3〜5人乗り
水中考古学より
実は、ケネディ大統領も日本軍と戦い、撃沈されたものの生き延びています。
Wikipediaより
魚雷艇PT109は1943年8月1日にソロモン諸島のニュージョージア島の西で日本海軍艦隊の輸送業務を妨害すべくほかの13艘と出撃し、その帰路で、8月2日午前2時半、PT109は日本海軍の駆逐艦「天霧」に不意に遭遇し衝突された。小さな魚雷艇の船体は引き裂かれて乗組員は海に投げ出され、2名が死亡、数名が重傷を負った。事故直後は生存していた10名の乗組員は海に飛び込み、日本軍が去るまでじっとしていた。
ソロモン諸島で、帝国海軍の駆逐艦(くちくかん)天霧(あまぎり)が、若き日、ケネディ大統領が艦長だった魚雷艇PT-109を沈没させています。

ケネディ艦長の魚雷艇 PT−109
ソロモン諸島:オーストラリアが近いです。
*第一次ソロモン海戦(日本が一方的な大勝利となった戦いです)
:アメリカ海軍最悪の敗戦と呼ばれている第一次ソロモン海戦
ペリリューの戦いと同様、アメリカの惨(みじ)めな部分は、事実が隠されているのです。
第二次大戦を描いた戦争映画、いつもドイツと日本がすべて負けたように描かれています。それは間違いですから。
個別に見れば、アメリカが惨めな負け方をしている戦いが、いくつもあります。
さて、ミッドウェー海戦で日本が負けた後で、このソロモン海戦では、日本軍が米軍に勝ちました。日本軍の士気が上がりました。
22分ころより アメリカの負け戦(いくさ)が始まる
日本が勝ったルンガ沖海戦はゲゲゲの鬼太郎の原作者・水木しげる氏が「幽霊艦長」として描いています。
ドイツは科学力で、日本は精神力で、民族性がアメリカにまさっていました。戦後、アメリカが、日本とドイツを恐れ、日本とドイツを骨抜きにするための政策を実施したのは、そういう理由でしょう。
戦争が終わり、80年もたち、状況が変わったのに、現在も、教育委員会や教員、あるいはオールドメディアは、時代遅れの考えを植え付けています。だまされないようにしましょう。
小笠原に戻ります。
父島の全体地図です。

歩いていたら虹がでました。

続く



