【在校生向け】織田信長と大村をつなぐルイス・フロイス(ポルトガル人宣教師)2

*織田信長:名古屋市の戦国武将隊

それまでジャングルに過ぎなかった長崎市の領域が、大村純忠公によって開港されたのが1570年です。ルイス・フロイスは、長崎港の開港7年前の1563年に、大村領・横瀬浦から日本に入国しました。

*横瀬浦の位置

信長入城450年の岐阜市に行ってきたのでその写真を貼っておきます。大村領から入国したルイス・フロイスは、長崎市の領域も佐世保市の領域もジャングルだった1569年に岐阜まで行き、織田信長に会っています。

大村の家来だった長崎氏の名前はルイス・フロイスの書簡には登場していません。豊臣秀吉の名と共に、大村純忠、大友宗麟(おおともそうりん)の名は登場しています。

織田信長の岐阜城は、山城(やまじろ)です。当時は、攻めにくいように城は山に設けられました。現在でも普通に登山して登ることになります(岐阜城はロープウェイもあります)。

*頂上にあるのが、ルイス・フロイスも登った岐阜城

*岐阜城より

*岐阜城 地図

*岐阜城に登ってみました。

岐阜城に登ったルイス・フロイスは、現在も続いている長良川の「うかい」で、織田信長より接待されました。

「うかい」の写真と動画は次回に続きます。

*前回はこちら

【在校生向け】織田信長と大村をつなぐルイス・フロイス(ポルトガル人宣教師)1

*長崎市と時津町がさんざん自慢する長崎甚左衛門(ながさきじんざえもん)の名は、ルイス・フロイスの書簡には登場していません。長崎市にだまされないようにしましょう。

【長崎市にだまされないために】大村が登場する長崎奉行の本

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