簡単に書きます。
世界遺産登録・推薦取り下げになった理由
取り下げ理由が、
「日本のキリスト教文化の特殊性は2世紀以上にわたる禁教期にあり禁教の歴史的文脈に焦点を当てた形で推薦内容を見直すべき」
と、なっています。
世界遺産登録の取り下げ理由、「日本のキリスト教文化の特殊性は2世紀以上にわたる禁教期」なのですが、この時期では、大村の「郡崩(こおりくず)れ」のことを含めたほうがいいのでは?
長崎県も長崎市も、日本初のキリシタン大名になった大村氏、天正の少年使節を出した大村氏を無視してきたように見えます。今も、長崎県の長崎教会群・世界遺産登録HPでは、大村のことは無視しているようです。
なんでも長崎市が一番だという感覚
「なんでも長崎市が一番」というウソの歴史観のゴリ押しは、長崎県内ではいいかもしれませんが、外部世界では、長崎県が押しつけるウソの常識は通用しません。その結果が、今回の長崎教会群が世界遺産登録・推薦取り下げにつながったのではないでしょうか?
大村市立資料館より引用
禁教期の一大事件
なお、禁教期、大村で発生した「郡崩(こおりくず)れ」の時の殿様は、大村高校の前身・五教館を開校した大村純長(おおむらすみなが)公です。
大村高校とローマ法王
昭和7年(1932)、現在の敷地において、旧制大村中学(大村高校旧校舎)新築工事の時に、敷地から、大村家の家老(かろう=大村家の家来たちをまとめた家臣のトップ)だった宇多家の墓地がみつかり、キリスト教のメダルが出土しています。
*大村高校旧校舎:昭和8年(1933)完成〜昭和63(1988)
出土したメダルは紛失しないように、歴代の校長先生が大切に保存されていたものです(大村高校百年史による)。その後、史料館に寄贈されました。
*大村ナビより引用
このメダルは、1981(昭和56)年2月、ローマ法王が日本訪問時に、ご覧になりました。
大村家とハプスブルグ家
*「カルロス一世」と大村ナビに書かれているだけなので、少し補足します。
カルロス一世は、ハプスブルグ家出身で、スペイン国王と同時に神聖ローマ帝国皇帝も兼務していました。神聖ローマ帝国ではカール五世と呼ばれました。ハプスブルグ家絶頂期の皇帝です。
*カール五世(カルロス一世)時代のハプスブルグ家
画像出典:カール五世と宗教改革
大村家って、ハプスブルグ家にも、わずかですが関わりがあったんですね。
大村高校とキリスト教
エピソードとしては、キリスト教のメダルがみつかった宇多家墓地の子孫である宇多氏は現在も続いていることです。メダルが見つかった当時は、子孫の方は長崎県内で銀行員でした。他に、深沢義太夫(ふかざわぎだゆう)の子孫の家も続いていますし。
面白いことに、長崎県内キリスト教の各学校(活水、純心、南山、聖母の騎士など)からは、キリスト教が入ってきた当時の遺産は何も見つかっていません。大村高校はキリスト教の学校ではありませんが、現在の大村高校の敷地から貴重なキリスト教の遺産が発見されています。
事実として、大村市は、江戸時代以前の歴史がない長崎市や、明治以前の歴史がない佐世保市とは違い、江戸時代以前から伝統・文化は継続しています。
*ローマ法王来日 1981(昭和56)年2月
なお、ジャングルだった長崎村に、キリスト教徒を投入し港をつくり、開港したのが大村純忠(おおむらすみただ)公です。
禁教期の大村
禁教期のことは以下のHPに書かれています。
おわりに
長崎県と長崎市が、あいかわらずウソの歴史でゴリ押ししていくのかどうか、今後の展開に注目したいと思います。