過去、日本人の教養は漢文でした。
漢文は意味がわからなくても、何度も繰り返し音読し、身につけておくと、日本語の文章を書くときに役立ち、道徳観や、文化を身につけることができました。
漢文の文章の背景には、長い間に収斂(しゅうれん)された高い文化と教養が感じられ、習得した知識が教養や実践規範となり、精神的な向上に役だったので、過去、千年以上も学習が続けられたし、現在も、高校の授業に残っています。
漢文は、欧米の言語で言えば、ラテン語のようなものでしょう。
*ラテン語・・・ローマ帝国の言語で、現在、国語として使用している国はありませんが、学術用語として使用されています。
**漢文・・・春秋戦後時代~唐にかけてのもので、現在の文法とは異なり、中国人は意味がわからないそうです。また、1970年代の文化大革命で、文字が変えられてしまい、現在の中国の漢字は、元の形ではなくなっています。
さて、調査によれば、児童・生徒のほとんどが、勉強を続けるうちに、英語の勉強が嫌いなっていく結果になっています。
嫌いになる理由は、単に教え方のうまい下手というより、英語という言葉の背景にあるものに、教養と文化の高さを感じられないことと、英語の表現が分析的で単純すぎるからではないでしょうか?
一例として、英語だと「ヒトデ」は、形を分析して、星の形だ、それに海にいるから魚だろということで、スターフィッシュという名詞です。しかし、日本人的な感覚で、ヒトデはウニなどと同様に魚じゃないだろということ。これだけで、もう英語って的外れだし、教養のなさが感じられてしまうのです。
ほかに、「さんま」は日本語では秋刀魚と格調高く表現しますが、中国語にはサンマの表現がなく日本語が入り、英語ではPacific saury,太平洋ごめんなさい(sauryとsorryは発音が同じ)で、なんだか、英語ってつまならないなぁと感じてしまうのではないでしょうか。
英語は、自分を向上させる教養や文化というより、ただの道具、金儲けの道具といった言葉に感じられるのです。
日本語には、感情表現や季節の言葉、魚類を表現する無数の言葉がありますが、英語にはないのです。
また、気づいていないけれど、両親が日本人であれば、こどもの頃から、知らず知らずのうちに、高い道徳観とか豊かで複雑な感性が身についています。だから英語の単純で分析的な内容に、つまらなさを直感で感じとっていしまい、英語の勉強が面白くなくなるのではないか?と思います。
そこでどうするか?
日本語で話のストーリーがわかっているもの、あるいは、日本のことを英語で外国人に紹介する教材を学習していくほうが、英語の力がつくし、興味が持続するのではないでしょうか。日本の話か日本のことで、英訳されたものを教材に使用してみるほうが、効率的に学習できるのではないでしょうか。
それから、LとRの発音と聞き取りのトレーニング法はこちらをご覧下さい。