私は前者。日常と特別は、別次元と考えます。日常の延長ではない別次元の特別を求め、フランス料理店のほうに出かけます。
大学時代から、少し無理しても、フランス料理のマナーを身につけるためにフランス料理店に通い、フルコースを注文しました(東京にはピンからキリまで、超高級な店から、大学生ならバイトなど何らかの理由で、普段より多めのおカネが入ったときに、ちょっと贅沢[ぜいたく]すればいけるような店までありますから)。
もし、文科系で、あなたが日常と特別が別次元と思うなら、東京の大学に進学した方がいいです。特別を経験しなければ、日常との違い、日常を超えるものが考えつかないからです。
文科系の人で、日常のままでいいなら、進路指導で先生方がおすすめする(であろう)、成績にあわせて今の成績で合格しそうな地方の(いなかの)大学に入るという人生を選択するほうがよいでしょう。
大阪、名古屋、札幌、仙台、福岡、静岡などで、地方大学(国立・公立・私立)をめざし、そのまま地方で過ごした人に話したり、採用で面接したりするとわかるのですが、やっぱり、高校卒業した時に、どういう方向を目指したかで、日常だけを選択したかで、その後の人生がかわっていくように思います。
何かやりたい、高校までの日常では満足できない、地方都市ではつまらない、地方ではつまらない人ばかりで話が合う友人ができない、そう感じる人なら、東京を選択して、東京の大学を目指す必要があるかもしれません。なぜなら、つまらない田舎(いなか)で無為の時間を過ごすより、人生で大切な十代後半から二十代前半、東京に出て特別を経験するほうが自分の人生に有益だからです。
もし、地方=いなかには合わないタイプの人が選択を間違って、知らないまま、地方(いなか)で大学生活を送ると(人生で失敗したことがあとでわかるようなのですが)、その時にはすでに遅く、取り返しがつきません。
「地方にいては、ダメだな、つまらない人生で終わりそうだ」、そう感じることがあるなら、文科系は東京の大学目指したほうがいいでしょう。
江戸時代は五教館の先輩方、明治・大正・昭和20年までの旧制大村中学の先輩方、そして昭和・平成の現在までの大村高校卒業生の先輩方で、成功している先輩の数多くは、最初から(卒業して進学先が)東京に出た方々が多数派だという事実があります。