大村アピール作戦、「大村」、「おおむら」、そして ” Omura ” で。
大村の観光戦略は、まず、大村の名前をアピールしていくことからスタートするのではないだろうか?
そのためには、まず、日本語では「大村」「おおむら」、ローマ字はOmuraに統一して、ロゴを決定していくほうがいいのではないか?
なぜなら、実は、ローマ字で表記する場合、Nagasaki(長崎)やIsahaya(諫早)やShimabara(島原)は読みにくく覚えにくい単語であることがわかっている。
Omuraは、短く発音しやすく覚えられやすい単語なのだ。このメリットを活かす方向に持っていったほうがいいんじゃないかな?
今のところ、古い常識にとらわれている人たちが多く、あまり、みんな気がついてはいないようだが。
さて、大村の人で、歴史の知識がない人は、「大村には何もない」や「大きな村が大村だ」などと卑下(ひげ)して、矮小(わいしょう)して考えるタイプの人がいる。
だが、それは、間違いだ。考えを変えたほうがいい。
次に、Omuraのアピールは二つに分けてやることも重要ではないだろうか。今は、二つがゴチャゴチャになっている。今後は分けることを提案する。二つとは何?
1.City Omura シティとしての大村
つまり現在の大村市のこと。街、店、名物、空港、自衛隊の街であること。
2.Lord Omura ロード(諸侯、大名)が続いている大村
諸侯(大名)の大村氏の大村市。さまざまな理由はあれど、戦国時代から大村家は続いている事実。
つまり、日本で初めてキリスト教を取り入れ、何もない場所に長崎市を造り出し、さらに長崎に港を造り開港し、天正の少年使節を送り出した大村氏からはじまる歴史のある街であること。人の営みが長く続いている大村、奈良時代から(墾田永年私財法のころより)の歴史的なものもある大村。
エピソードを書けば、第二次大戦後、アメリカ軍から占領統治されていたとき、長崎県を統治していたアメリカ軍のトップが、わざわざ、Lord Omura、ヨーロッパと同じような諸侯である大村氏に会うため、長崎市からジープを走らせ、大村まであいさつにやってきた実話もある。
ほか、長崎市や長崎市の観光関係者は、知られたら困るらしく、完全無視している事実は、グラバー園は戦前廃墟だったが、戦後、長崎県を統治していたアメリカ軍トップの奥様がわざわざ英語で発表されたために、観光地になったこと。
今は、長崎市のほうが、宣伝活動がうまいため、大村は陰になってしまっている。
中世期は、長崎も佐世保も諫早も島原もない。西九州の都市は、博多と大村だけ。
現実として、長崎市には歴史がない。江戸時代以前の歴史が何もない。また、長崎市からは、大きく社会に貢献した人物が一人も出ていない。長崎市は場所を貸しただけの舞台。なぜなら主役が長崎市からは出ていない。坂本龍馬は土佐藩出身。
これからは、舞台ではなく、そろそろ人物を輩出した大村市のアピ-ル作戦を展開してゆくチャンスなのだと思う。
誰だ? 大村が big village (ビッグビレッジ)なんて言った奴は?
ロングマン英英辞典より
big => of more than average size,amount,weight
つまり、bigは、サイズや量や重さが平均以上を表す形容詞。
∴big villageは「大村」の訳としては不適当。
正答:大村を英語では、 Great Village ( グレート ビレッジ)/ フランス語では、Grand Village ( グラン ビラージュ)
なぜ、そう訳すのか?
それは「文化に溢(あふ)れた街に」として、村嶋寿美子先輩(7回卒)が提唱。
村嶋寿美子(むらしますみこ)先輩とは?:長崎県から女性として初めて東京芸術大学に合格された大先輩
実際、大村は、長崎市よりも歴史があり、大村が港として選定したので、長崎港が開かれた。
決定権者大村氏によって、長崎が生まれた。
大村なしに長崎が存在できなかった。伝統も歴史も文化もあるのに、いままで、忘れられていただけ。
長崎県や長崎市が流布する、ウソが入った歴史にだまされないようにしよう。
大村高校写真部OBリンク